紀伊半島の自然災害
地震災害
紀伊半島の地質の大部分を占める四万十帯は,海洋プレートが大陸プレートの下に沈み込む際に海洋プレート上の堆積体が大陸側へ付加されることでできた付加体です. 両プレートの境界は海溝となっていて,巨大な岩盤がこすれあう大断層です.そして,この大断層がずれ動くことで発生する膨大なエネルギーが巨大地震や大津波を引き起こします. 現在では両プレートの境界は南海トラフと呼ばれていて,このトラフに起因する巨大地震は90年から150年間隔で起こっています. 発生場所によって東海地震,東南海地震,南海地震と区別されたり,3連動地震と呼ばれたりします. 近いところでは,1946年の昭和南海地震,1944年の昭和東南海地震,1984年の安政南海地震と安政東海地震,そして1707年の宝永地震が知られています. 宝永地震は東海・東南海地震と南海地震が同時に起きた3連動地震と考えられています. このような南海トラフの巨大地震はこれまでに何度も紀伊半島に甚大な被害を与え,その痕跡が今も残されています.
豪雨災害
一方,和歌山県の気候の特徴として,県北部は瀬戸内気候区に属し降水量は1,200mm程度と少ないのですが,県南部は南海気候区に属し降水量が非常に多く, 年間降水量は2,000mm~4,000mmにも達します.また,台風の通り道にもなっていて,過去には豪雨由来の土砂災害や洪水などに何度も見舞われています. 平成23年9月の台風12号による豪雨災害(紀伊半島大水害)は記憶に新しいですが,過去にも有田川水害(1953年)や十津川水害(1889年)を経験していて, この3つの大水害の間隔は約60年です. つまり,豪雨災害は先に述べた巨大地震よりも短い間隔で起きていることになります. 約60年という間隔は現代の日本人の平均年齢よりも短いので,豪雨災害は一生の間に一度は経験する可能性の高い災害ということになります. では,なぜ紀伊半島では豪雨災害が多いのでしょうか?降水量が多い,台風の通り道になっているなど気象的な特長はもちろんですが, もう一つ,地形地質も大きな要因と言えます. 平成23年台風12号による豪雨で起きた土砂災害は,場所によりその形態が大きく異なります. 紀伊半島大水害では,四万十帯(付加体)が分布する日高・西牟婁地域では深層崩壊を含んだ大規模な斜面崩壊が主に発生したのですが, 熊野酸性火成岩類(火成岩体)が分布する東牟婁地域では深層崩壊はほとんど見られず,おもに表層崩壊と土石流でした.
平成23年台風12号で発生した土砂災害の地形・地質要因
図-1は紀伊半島の地質と平成23年台風12号による和歌山県内の主な土砂災害発生場所を示しています. 日高・西牟婁地域では,清川(みなべ町),三ツ又(田辺市龍神村),伏菟野(田辺市),真砂(田辺市中辺路町),深谷(田辺市), 熊野(田辺市),皆地(上平治)(田辺市本宮町),三越(奥番)(田辺市本宮町)で大規模な斜面崩壊が発生しました. この地域の地質は海洋プレートの沈み込みによってできた付加体(四万十帯)です. 付加体には多くのスラストがあり,またスラストに伴う数多くの破砕帯が存在します(写真-1). スラストは海洋プレートに押された方向,すなわち紀伊半島では北側に向かって傾いているのが一般的です. このため,山の北側斜面では,山腹斜面の傾きとスラストの傾きが同じ方向の流れ盤になっています. このような地質構造から,四万十帯分布域では大規模斜面崩壊が起こりやすい状況にあります. 伏菟野や三越(奥番)ではスラストとこれに伴う破砕帯の存在が確認されていて,これら破砕帯や破砕帯付近の泥質岩が水分を含んで軟弱化し, 破砕帯がすべり面となって大規模な斜面崩壊が発生したと推察されています. これに対し,真砂,深谷,熊野は,地層の傾きと山腹斜面の傾きが同じ方向の流れ盤となっており,平成23年台風12号の豪雨により風化帯や古い崩積土が水分を多量に含み, 流れ盤に沿ってすべり崩壊が発生したと推察されています.
一方,東牟婁地域では,熊野川流域(新宮市,新宮市熊野川町),木ノ川・佐野(新宮市),那智川流域(那智勝浦町),および色川(那智勝浦町)で表層崩壊と土石流が多数発生しました(図-2). この地域の地質は,火成岩体の熊野酸性火成岩類(花崗斑岩,流紋岩,流紋岩質火砕岩)と前弧海盆堆積体の熊野層群で構成されています. 花崗斑岩は柱状節理が発達し(写真-2),この節理の割れ目に沿って風化が進みやすい特徴を持っています. また,花崗斑岩分布域は基盤岩の熊野層群に比して急峻な地形であるのに対し,熊野層群分布域はやや緩斜面をなしています(図-3). このような地形と地質により,この地域の表層崩壊の多くは花崗斑岩分布域で発生しました. これらの崩壊地の多くでは谷筋の緩傾斜部分に崩積土(旧土石流堆積物)が堆積しており,これが表層崩壊による土砂とともに土石流化していました. また,谷筋に残る崩積土が再び流動化して土石流になった例(渓床不安定土砂の流動化)もみられます.
同じ東牟婁地域でも前弧海盆堆積体の分布域で発生した土砂災害は,火成岩体より数が少なく,崩壊規模も小さいことが特徴です. しかし,数少ない事例ですが,崩壊斜面の背後に火成岩体や火成岩脈が分布すること,および崩壊斜面が層理面の流れ盤を呈するなどの共通点が見られます(写真-3).