Stay in Berlin, 2007 ベルリン滞在

2007年に滞在したベルリンの記憶を留めるためにここに印象深い写真を選んで掲載します。写真の大きさがまちまちなのは写真の加工に用いるソフトに不慣れなためです。東西ドイツがベルリンの壁崩壊という象徴的な出来事を境に再統一し約20年の歳月が流れています。このことはヨーロッパの中心が更に東に移ったことを意味します。外交上手なフランス・パリから経済的に明らかにEUの牽引車たるドイツ・ベルリンがEUの中心となっていくはずです(故藤村信氏の著作による)。しかし,昨年みたベルリンは首都とはいえ意外と自然豊かでした。以下に載せる写真が過渡期の記録となればよいと思います。もちろん個人的な記録です。

更新事項

Eugene Paul Wigner Gebäude

ここが滞在先(Prof. Dr. Christian Thomsen)のベルリン工科大学Technische Universität Berlin,物理学科(Insititute für Physik)のあるEugene Paul Wigner Gebäudeです。この前はHardenberg strasseです。隣には芸術学校がありました。ここの最寄り駅は,Zoologischer Gartan或いはErnst Reuter Platzです。前者はU-Bahn, S-Bahn, Deutsche Bahnの集まるベルリン市内西の主要駅です。特に東西分断時代は。後者は初代(西)ベルリン市長の名前からとった駅名です。最近でこそ日本も大学は再び町中に集まり始めていますが,ベルリンの繁華街に大学があることは驚きです。ここから歩いていけるところに有名な動物園(駅名になっています),ティアガルタン(訳すとこれも動物園になりますが)といった緑豊かな公園です。


入り口に駐輪場があります。このように自転車を固定できる施設は駅前などにも散見され自転車を使う人には大変便利です。日本はこういうところをまねてほしい。駐輪場の青い自転車は,マリア(Frau Dr. Maria Machón)に貸してもらっていたものです。

大学周辺

以下に大学近くにあって私がよく行っていたところを紹介します。

写真 説明 写真 説明
夜のカイザーウィルヘルム記念教会
帰りはいつもここの広場に立ち寄っていました。
たとえばこの広場ではこんな大道芸を常にし
ている一団がいました。中央の金髪親父がリーダー
です。
犠牲者の碑
スターリン主義によるによって亡くなられた犠牲者の碑が,
大学近く,Hardenberg str沿いにあります。ただ学生は気付
かなかったということですから日本と同じように若い世代に
は関心がないのでしょう。「共産主義」ではなく「スターリ
ン主義」とあるところが日本との考え方の違いという気がし
ます。要するにマルクスによる共産主義とソ連共産党を牛耳っ
たスターリンの考えは同じイデオロギーに属しないと言うこと
です。
同じく犠牲者の碑。こちらは,国家社会主義
ナチの犠牲者を悼む碑です。
Bahnhof Zooligischer gartan からHardenberg strasseに沿って歩く
とここに行き着きます。この写真はStrasse Des 17 juniから撮影しま
した。右手に大きな大学のビルが見えると思います。この広場を越える
と通りの名前がBismark Strasseになります。

Spanische Musik

これもマリアからのお誘いでニルスとともに行ったバーでとったものです。マリアの友人がスペインからベルリンに出てきて学業の傍らこのような活動をしているようです。音楽に酔いしれた客は左の写真のように踊り狂います。中心に写っているのは下のコーナーで言及しているマリアの友人です。小さく写っている金髪の女性もマリアの友人です。金髪の女性を撮影しようとしたら割り込まれました。三度ほど金髪の女性をとろうと試みましたが全て彼女に邪魔されました。右端の写真は音楽も終了しこれから帰るところです(午前一時頃:ベルリンの公共交通機関は金曜と土曜は実質終日運転)。Koch str.という駅で降りて直ぐのバーですがいかがわしいところでした。品行方正な私はそんな場所に行っても声をかけられることなく無事帰還しました。マリアとその友人(黒髪)は,更に飲みに行ったそうです。この翌日というかこの土曜日(2007.9.23)が下の素人オーケストラのコンサートの日でした。


素人オーケストラ

研究室のニルス(と恋人)が属しているオーケストラのコンサートにも行きました。ほとんど帰る直前の9月23日です。素人とはいえ,ブラームスの交響曲第一番とかを演目に入れているのですからたいしたものです。日本人団員もいましたし,ベルリンフィルの二軍がメンバーにいるとのことですから私のような鈍感な人間にはプロと遜色ありません。会場はメルセデスベンツの展示場で音響効果もいいのでこういった催しに利用されているようです。この写真は本番前のリハーサル風景です。


ここでも中入りにはビールとかワインとかを会場内で飲めます(右図)。会場には,地下鉄Rathaus Spandau駅から更にバスを乗り継いで行きました。スパンダウは,今でこそベルリンの一部ですがもともとは別の町だったのです。しかもベルリンよりも長い歴史のある町らしい。2007は市政775年との垂れ幕がありました。このコンサートには,マリアとその友人(Freie Universität Berlin,物理の学生)とで行きました。

映画撮影

トム・クルーズ主演でシュタウフェンベルクという実在のヒトラー暗殺に失敗した人の映画の撮影がベルリンで行われました。(題名はWalküreで,これはこの作戦のコードネールです。次のページの参考文献2に説明があります。当初はシュタウフェンベルクという題名の予定だったそうです。)トム・クルーズはオフだったのでいませんでした。クルーズの主演には2007年時点で遺族は快く思っていないように報道されていました(Deutche welleの英語サイト)。2時間ほどここでうろついていたら地元の新聞記者(ベルリンナーツァイトゥンク紙)からインタビューを受けました。この写真は最前列で粘った成果です。

この通り(Wilhelm strasse)には総統府があったそうです。右の写真は,映画の題材となったvon Stauffenberg大佐にちなんで名付けられた通りの表示板。

IBZ

私が過ごした宿舎を紹介します。地下鉄U9線Friedlich Wilheml Platz駅からWiesbadener str に沿って歩いて10分程度でしょうか,住宅街の中にあります。ベルリンの三大学(TU Berlin, Humboltz U, Freie Univertität Berlin)で運営してるようです。

この中の部屋(010という番号)を三人でシェアしていました。私よりも先にスウェーデン人留学生Mark Flagstedtが居住していました。次いで私が入ってその後メキシコ人の教授が一ヶ月いました。次いで,ロシア人大学院生が入りました。私たちのように外国人三人というのは珍しく,韓国人とか中国人とかで借りている人が多いです。日本人家族も上の階にいたはずですがお母さんが子供をしかる声を聞いたのと子供が窓から私を観察していた以外ではコンタクトをもてませんでした。写真は左からWiesbadener str.から借りている部屋を中心に勝手口をとったもの,勉強机,地下の共同洗濯機(私たち三人の共用ではなくIBZ居住者全員の共用)とバストイレです。

サイクリング

ドイツ人はスポーツ好きだと思います。そしてドイツの大学教授たるものみんなでサイクリングに行くぐらいの余裕があるのです。
左の写真は待ち合わせの駅です。ベルリン市内東南の端という感じです。この手前の駅には,Frie Universitätの放射光施設があります。右の写真は,サイクリング中に撮った写真で私の肩も写ってしまいました。


ヨットレース

ベルリン市内三大学(Technische Universität Berlin, Humboldt-Universität zu Berlin,及びFreie Universität Berlin)の対抗ヨットレースが,ベルリンにある湖Wanseeで行われています。日本で言えば旧帝大対抗戦にでも相当するのでしょうか。私が週末行くところがないとぼやいていたらマーセル(右)がヨットレースがあるからこないかと言われて観戦しました。マーセルの隣は技官のミヒャエルです。二人で出場しましたが写真の通りの残念な結果でした。

この日(2007年7月15日)はみての通り快晴で大変暑かったです。私はとても浸かる気にはなれませんでしたが幼児やその母親は水着になって湖に入っていました。ここではウナギが捕れてレストランで出しているそうです(これは小説で読んだのですが)。


食事シリーズ

食べ物1

ドイツで食べていた料理をいくつかのせます。これは第一弾です。左からブルーベリー,ミュンヘンで食べたバイエルン料理,(ファストフードの)トルコ料理です。ブルーベリーは,お馴染みでも自国産をスーパーで買えるのはうらやましい。もう少し長く滞在できたらカシスも買えたのに。日本で買えるブルーベリーは一部を除くとアメリカから輸入したものではないでしょうか。私は一度1キロ買い,毎朝ヨーグルトに入れて食べていました。

真ん中は,ミュンヘンに小旅行した際にEnglische Gartan内ビアホールで食べた豚です。意外と油っぽくなかった。紫キャベツはおそらく酢漬けでザワークラウト(こちらは発酵食品)ではないと思います。右端は,カイザーウィルヘルム記念教会前のトルコ人と中国人が経営しているファストフード店の料理でデンナーというものです。正確な綴りは思い出せないのでわかり次第訂正します。


食べ物2

大学内食堂で食べた料理を入れておきます。Mathematicsビルの最上階にあるレストランです。

食べ物3

Hardenberg strasseを隔てたオフィスの向かい側にあったインド料理店です。これを載せるのを忘れたというのは自分でも許せません。というのは ここで食べてようやくベルリンに滞在しても食べるのに困らないと確信できたのです。味付けは,ドイツ風にアレンジしてあります。すなわち,甘口です。私にはこれぐらいが丁度良かった。この店はガイドブックに載ってないですがお勧めです。Rahdaといいます。この隣にはCafe Hardenbergというガイドブックに推薦してある店があります。

この日の料理はこんな感じでした。複数のカレーから自由に選べてデザート付きでした。

最後の晩餐

ベルリン滞在最後の夕食は,スペイン料理店Por qué???で食べました。

左から冷製トマトスープ,サラダ,魚(一年前なので忘れています),とデザートのプリンです。どう考えてもオッサン一人でこのデザートは 恥ずかしかった。ここは,Knesebeck strasse 56にありまして,こんな店です。


悲しい夕食

滞在中ユーロ高のため到着から二ヶ月ほど我ながら極貧生活を余儀なくされました。一日10ユーロを食費と設定しました。昼は大学で5ユーロ程度。夜もこの額で抑えたい。そうすると必然的に悲しい食生活となります。以下に一例を示します。

DB Zoologischer Gartanに隣接というか,DBの線路下にある,Ulrichというスーパー(ドイツでは異例の日曜も営業)内のパン屋で閉店前に2個一ユーロとかでパンを買い,それと野菜スープぐらいで夕食をすませていました。昼食の分量が多いので夜まで空腹を感じないというのが私には助かりました。左のSauerkrautsaft(ザワークラウトジュース)に注目してください。最近日本でも植物由来の乳酸菌が注目されていますが,ドイツでもキャベツの漬け物にたるザワークラウトの汁をジュースにして売っています(0.99ユーロ)。これは私の健康維持に大変役立ちました。残念ですが日本では手に入りません(少なくとも現時点では)。安すぎてもうけにならないのでしょう。更に強調したいのは,日本ではフランスパンばかりが注目されていますが,私は種類の多さなどドイツパンは勝るとも劣らないものを持っていると思います。

移民局

このFriedlich-Krause-Uhrにある移民局です。ここに行く前にベルリンに住民登録をしておかねばなりません。私の場合,滞在期間が三ヶ月と26日ですから約4週間分のためにvisaを取得しなければならなかったのです。Professorの保証書があったので殆ど何のトラブルもなく許可を得られました。ドイツに留学する人は滞在先の教授から推薦書を貰って下さい。日本から持って行った大学学長などの身分証明書など何のたしにもならないことを伝えておきます。

右の写真は50ユーロ出して貰った滞在許可証です。写真に載っている本はホストであるProf. Dr. Thomsenの著書です。

付録 München旅行

ベルリン滞在中2007年8月25日から一泊二日でミュンヘンへ小旅行しました。ミュンヘン到着後すぐに撮った写真は市庁舎です。帰りに乗ったIntercity Expressの写真を中に入れました。市庁舎前にある教会の塔内に一時問題となった落書きを見出し腹立たしい気持ちから撮影した写真を入れておきます。ただ落書きをしているのは大半アルファベットを使う人たちであることは間違いありません(リクエストあらばそちらもアップロードいたしましょう。)。第四の写真は,同じく塔から撮った市庁舎の写真です。工事中で有名なグロッケンシュピールを見物できなかった。


ドイツのカラス

ドイツといっても私が見たのはベルリンだけです。その色合いが日本のカラスと異なり白いというか灰色を 含んでいます。朝日新聞2008年11月29日の記事によると日本にもいるそうです。ただ同じものかどうか までは私には分かりません。ついでなのでこの写真も入れておきます。

以下機会を見つけて更新します。次のページに続きを載せますので興味ある方は見て下さい。

謝辞

2007年5月29日から9月24日までドイツ・ベルリン工科大学へ短期海外研修を行えたのは,和歌山大学海外研修プログラムに支援による。ここに感謝します。また,現地受け入れホストとして小生の滞在を受け入れてくれたProf. Dr. Christian Thomsenに感謝いたします。

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最終更新日:10.04.2010