和歌山大学 システム工学部 精密物質学科

  篠塚雄三

第5回 可能となった錬金術

    −新物質をデザインする−

        
 

 このシリーズの最初に述べたように、構成する原子の種類と構造が、いろいろな物質の多様な性質を決めている。ということは、原子の新たな組み合わせを考えることで、新しい性質をもつ物質を作り出すことができる。もちろん今までにも化学の分野において、様々な物質が合成されてきた。ただし、人工的に物質を合成するといっても、我々は単に原子の組成を選ぶことしかできなかった。選んだ原子の組成がどのような単位構造を作り、その単位構造がどのように積み上がってマクロな固体物質ができていくかは、自然の法則に従い、それをコントロールすることは我々の能力の範囲外であった。
 ところで、結晶作成法の一つに真空蒸着法がある。そこでは基盤に原子や分子をだんだんと積み上げて結晶を作成する。最近、その技術が進歩し、コンピュータと連動させて、積み上げる原子の組成を一層ずつ制御できるところまで可能になってきた。分子線エピタキシー法とも呼ばれるこの結晶作成法を用いることで、任意の原子をあたかもピンセットで一つずつ積み上げ、自然界にはない組成と構造をもった新しい人工物質を作成するという人類の夢がいまや実現しつつある。
 この従来の物質概念を越えた新しい物質は超格子物質と呼ばれ、1970年に江崎玲於博士のグループがアイデアを提出し、作成に成功した。現在もっとも多く作られているのは、応用との関係もあって、ガリウムひ素(GaAs)とアルミニウムひ素(AlAs)の二つの半導体を交互に積み重ねた超格子半導体である。たとえば、GaAsを三層、AlAsを二層ずつ積み重ねると、自然界にはない、五層周期の新しい周期構造をもつ物質ができる。また、それぞれの層の数を任意に変えて積み重ねれば、並進対称性という結晶の基本性質を持たない人工的な構造をもつ物質ができる。


計算機制御による分子線エピタキシー法結晶成長装置

 超格子半導体の特徴の一つは、各層を作る物質とその厚さを変えることで、電子と正孔(電子の抜け穴)の動きを制御できることである。たとえば、右の組み合わせ例では、電子と正孔はGaASの層の中を動くことになり、狭い空間の中に閉じこめることができる。したがって、電子と正孔が結合し、光を放出して消滅する確率が増え、効率の良い半導体レーザーができる。
 また、超格子ならではの特質を生かした例として、日本では発明された高易動度トランジスタ(HEMT)がある。前回述べたように、半導体に異種原子を添加すると、中を動く電子または正孔の数が増え、電流がよく流れるようになる。しかし、電子を供給したあとの異種原子(ドナー)はイオン化して電気を帯びるため、結晶中を動く電子にとってはじゃまになる。いままでの半導体では、電子の動く通り道にイオン化したドナーが必然的に多数存在するため、電流特性の向上には限度があった。そこで、半導体超格子(GaAs-AlAs)を作りドナーをAlAsの層のみに添加すれば、電子はGaAsの層の中を動くので、AlAs層にあるイオン化したドナーにはじゃまされず、電子のすばやい動きが実現できる。この様な原理を用いたHEMTは、早いスイッチング速度を生かしてコンピュータに応用されている。
 超格子作成については、現在のところ原子層を任意に積み重ねること(もちろん隣り合う層の原子の間には相性が存在するが)、すなわち一次元方向はデザインできるようになった。これを三次元すべての方向に任意に原子を積み重ねて新物質を設計することについては、現在いろいろなアイデアが提案されており、研究が進行中である。
 このようにして、昔からの夢であった錬金術は、本来の目的こそ実現できなかったけれども、自然界にはない新しい物質をデザインし、組み立てるという、よりすばらしい形で実現されつつある。しかし、なにごとにもメリットとデメリットはつきものである。たとえば、今までに作られた人工物質において、プラスチックは腐らないという利点ゆえにゴミ公害や環境破壊を引き起こし、人畜無害と賞賛されていたフロンガスは、地球をとりまくオゾン層を破壊することが最近になって判ってきた。自然界にはない新物質を作り出す能力を手に入れることができたけれども、神ならぬ人間は、すべてを見通すことができないことも、頭の片隅に入れておかなくてはならない。

1989年6月に宇部時報(山口県)に掲載。
2001年10月 和歌山にて一部修正。


炭素からできたナノチューブ

原子を人工的に並べる