はじめに

大変個人的なことを記載していることを最初にお断りしておく.近いうちに適切な場所に移動するつもりであるが,それまでの間,特に私の記憶が新鮮かつ動機が続く間に記録しておきたいのでご容赦願いたい.

母の生い立ちと略歴

木曽田梅野(旧姓 今井梅野) 昭和3年(1928年)1月12日生まれ,2021年5月22日午後7時59分京都民医連あすかい病院3階(緩和ケア病棟)315室にて膵頭部ガンのため死去

今井吉之助,今井不二の第三女として京都府竹野郡浜詰村(現 京丹後市)にて生まれ,現地の浜詰高等尋常小学校を卒業後,親戚を頼って東京に働きに出たようである.笹塚に住んでいたと言っていた.その後京都市内在住の同郷の知人(大西夫妻)の紹介により木曽田順治(故人)と見合い結婚する.結婚後京都市上京区にて義父母木曽田槌男と静(故人)夫妻と3軒続き長屋の一軒隣に新居を構えた.順治は,大西氏の指導により西陣織整経業を自宅にて始めたばかりで,母も家事に従事すると同時にその仕事を支えた.その状況は1993年3月父順治の死去まで続いた.

母の生活など

母の担当は,枠という木製のものに染色された糸を巻き付ける作業である.父は枠を並べて直径1メートルほどの水車のような輪に枠の糸を所定の配置に巻きつけ,その後タテヘイという木製の長さ1m程度直径20cm程度の円筒に巻きつけ,次の工程に入るべく注文先に返すのである.

父の死後,しばらくしてからボケてはいけないと,日記をつけ始めた.日記は,脳出血で倒れる日まで続いている.私は母に続けさせようとしたが上下逆に書いたり文字が大きくなったりしてしまった.それまでは細かい文字でびっしりと書いていた.最後の日記帳は母の棺に入れて焼いてもらった.ただ,あと何冊かは残っているはずである.どこに隠したのか探さないとわからない.

脳出血から退院して

脳出血で倒れたあともメモなんかを書いていた.より正確に言うと私が書かしていた.今振り返ると徐々にではあるが回復していく様子を感じ取れた.

自宅療養中,米を洗って土鍋で炊いていた.これもより正確に言うと私の指令によってである.私としては使命感を持ってほしいと思ったのである.実際に母はそのように感じていたし,忠実にこなそうとしていた.脳梗塞を発症してからは,事実上自力で立てても歩行は困難となったので一連の作業はできなくなった.

母の印象は,私にとって,とても過保護な親であった.大人どころか50歳近くまでそんな感じであったように思う.一例を上げると夜9時頃ジョギングに出た私の帰宅がいつもと比べ遅れる(腹痛のため)と家の外に出て迎えに来る始末であった.子供のときは,泣きそうな顔で心配そうな様子で私のことを見ていた.困ったことに母の晩年は逆の立場となった.すなわち,私が母のことを常に心配していたように思う.

新生姜の甘酢漬けを沢山食べてくれた.しかし,食べられなくなったと茶山のさとから連絡を受けてからキーウィを擦り下ろして持っていくようになった.これも美味しいと食べてくれていたように聞いている.キーウィには若干酢を入れた.長持ちさせるためと血糖値の上昇を抑えられないかという考えからである. 自宅療養しているころは,なんとかほぼ毎日外に連れ出そうとした.二人が夕食を終えてから鞍楽まで買い物に行った.当時は二階にヒカリ屋という服屋もあったので何かを買おうとした.またその当時は自らの意思で青汁を購入してほしいという主張をしていた.そのため葬儀後整理していたら2袋未使用の青汁や好きだったので用意したとろろ昆布も未使用のままだった.

母は,私の出産後なんらかの婦人系の大病を患って手術をしている.脳出血で第二日赤から堀川病院に転院した際当時の看護師が母の腹の傷を見て母に問いただしていた.私はそのとき同席していたのに女性特有の病気だったので病名をすぐに忘れてしまった.手術自身は母の地元に帰って行われたことを記憶している.母もそのときは看護師の人に正確に答えていた.母の病気のタイミングによっては私は存在しなかったかもしれない.そんな感情を持ったのでなんとか自宅で見送りたいと決意したことを記憶している.

好きだったテレビ番組

池波正太郎原作の鬼平犯科帳剣客商売(藤田まこと主演)なんかを好んでみていた.水戸黄門とか暴れん坊将軍は積極的に見ようとしていなかったような印象である.脳出血後プレバト,特に梅沢富美男が俳句で出てくるときは楽しそうだった.お笑い芸人では岡村隆史なんかは好きだったと思う.

好きな作家

父の死後,認知機能を衰えさせてはいかんと考え,本を紹介した.そうしたところかなり読むようになった. 宮部みゆき,山本一力,宇江佐真理,池波正太郎などをよく読んでいた.はじめの紹介は私であったが好きな時代劇の影響から池波の剣客商売とか自分で古書(近くのスーパーで毎週木曜に古書市で買うのである)を購入するようになった.

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