このページでは,私の公的部分の嗜好で読んだ本を紹介しています。当初はPlastic Fantasticだけを対象としていました。現在(2014年8月12日)では計19冊になりました。私的な興味で読んだ作品は,恥ずかしいので出して いません。
これまでは上のように書いていた。私はここでしばしの間読書感想文をここに載せる決意をした。感動した本についてどんどん語っていきたい。これまである
ニックネームでたなぞう
というサイトに読了本について感想文を書いていた。ところが運営難からたなぞう
がなくなったので私の
感想文を書き留める場所を失った。張り合いがなくなり,本を読み進める気力を取り戻すためにここをしばらくその場として利用させていただきたい次第であ
る。ただ,ここに書いているのではたなぞう
以上に反響のない点が残念。
本書(写真)は,Herr Dr. Jan Hendrick Schön注1による偽のデータを使った華々しい結果と挫 折を描くノンフィクションである。おそらく近いうちに私が所属する日本物理学会の会誌に書評が掲載されると思う。それに先駆けてここに私の感想を載せるの は,非旧帝大出身者であり非旧帝大に勤める物理科学の教師が本事件をどう捉えるかと言うことを主張したいからである。本書には,NatureとScienceと いう二つの科学雑誌が登場する。我が国のこれらの科学誌偏重が全く改善されていないことに抗議したいということも趣旨に含まれる。
本書の主人公は,Jan Hendrick Schönである。彼は,オーストリア国籍なので兵役を経ることなく大学に入学した。入学した大学Konstanz大は,スイスとの国境に近く彼の指導教 授Prof. Dr. Ernst Bucherは,スイスから大学まで通っているそうである。Bucherという人は,太陽電池の専門家らしく私自身の研究分野とかぶっていないので初めて 聞く名前であった。本書によるとSchönは,大学時代際だって優秀ではなかったような印象である。ただ教科書に書いてある内容には精通していて仲間から 反応の早い奴といった評価であろうか。ただ私の印象では教科書に書いてあることを絶対視する権威主義者のように読み取れた。大学での研究で,彼はCGS系 太陽電池のルミネッセンスを測っていた。後に本件に深く関わることになるDr. Christian KlocをBucher教授は雇おうとしたが他の教授に反対されDr. Klocはその後ベル研に雇われることになる。その縁でSchönは,Dr. Klocの勤務するベル研究所へインターンシップのような形でまずは関わった。彼の受け入れ先は,Dr. Bertram Batloggであった。(彼の名前を私も知っていた。1986年秋から始まる酸化物高温超伝導体レースで度々名前の出てくる人であった。私は1987年 当時故武野正三教授のご指導で修士課程の学生として酸化物高温超伝導体の勉強をしていたので記憶しているのである。シェーン事件の前からかなり有名であっ たことは間違いない。)Batloggのグループでは,Dr. Klocの作る試料の電気伝導測定を出来る人を探していたようである。その役目を何故かSchönが担うのである。そしてここからSchönの”活躍”が 始まるのである。Dr. Klocは,結晶成長の専門家で,彼の有機結晶は素晴らしいのである。この有機結晶にKonstanz大に帰っては,Schönは,そのスパッタ装置を 使って酸化アルミニウム膜を付けるのである。更にここに電極を付けて電気伝導を測定する。そして華々しい成果,レーザー発振,量子ホール効果,超伝導と いった成果を発表し続ける。これは,殆どデータのねつ造による。この時点でDr. Batloggはグループの長としておかしいと思わなかった。彼自身もスイスの大学教授として移動しなくてはいけないし,ベル研のリーダーとして華々しい 成果も発表したいということがあったのだろう。Dr. Batloggだけでなくレーザーの専門家たるDr. Federico Capassoまでもが結晶に電極を付けただけでレーザー発振したという報告を受け入れたのである。これも一寸信じられない事である。既にSchönが, 名声を博していたとしてもである。私は,本書を読んでいてこのあたりからベル研,そしてその親会社Lucentがおかしいと思いはじめた。どちらも業績悪 化のため,何か博打で一発逆転を目指しているように感じた。Schönだけが悪者ではなく周りも囃し立てたと思えるのである。もちろんベル研の中でDr. Monroeのように疑いの目を向ける人も出始めた。それでも内外に大家と認められているCapassoやBatloggがついているSchönに太刀打 ちできるはずもない。よってますますSchönはデータをねつ造するのである。むしろやめられなくなったのであろう。彼はベル研のインターン的存在から一 時帰国して学位を得た。しかしその身分は不安定である。
Schönは,有機結晶に関する一連の仕事により次第にベル研だけでなく外からも高く評価されナノテクノロジーの大プロジェクトに加わる。その後も SAMFET(Self Assembled Molecular Field Effect Transistor)などでScienceやNatureといった雑誌に誰もなしえない仕事を投稿し続ける。この模様は,まるで売れっ子作家・漫画家が 週刊誌を掛け持ちして連載を持っているような様子である。実際これらの雑誌は,週刊誌である。しかし栄光の時は長く続かない。Princeton大 Lydia SohnやCornell大Paul McEuen(その後カーボンナノチューブを使ってAharanov-Bohm効果の実験を行ってNatureにその仕事が掲載された)らの追求が始まる のである。結果的には彼らの手により,彼の研究は,ストップするのである。これは余りに目立ちすぎたためと考えられなくもない。Schönのケースは,例 えば実験をほぼ一人で行っているとか,研究ノートに不備がある,試料は実験で破壊されるとか,失われるとか怪しいこと限りない。しかし,本件に類した事件 は,我が国にも有ったし,今後も起こり得ないとは言えない。例えば,有る結晶のp型化に成功した(論文になっている)がそれをしたポスドクが母国に戻った ら出来なくなったとか。私の思うところNature(及びその派生月刊誌Nature Physicsなど),ScienceそしてPhysical Review Letters等に研究を発表しないとその道の権威とは認めないという風潮が我が国にも蔓延している。一方,本件を追求した立役者のSohnさんは, Princeton大のtenureを蹴ったとか。Princeton大の同僚から例えば「あなたの論文はNatureとかScienceに載ってます か」と質問されたりして,Princeton大の雰囲気が伝統的(権威主義と言い換えた方が適切かもしれない)に感じたと言う理由だからだそうだ。科学者 なら掲載された雑誌や著者の権威に関わりなく純粋にデータや理論を検討すれば,本件はもっと早く収束しただろうしうまくすれば誰も傷つかずに済んだかもし れない。身分の不確かな者が権威とスターになること(スターにならないと一流大学に雇って貰えないから)を求め,業績の悪い会社・研究機関は,株価上昇に 直ぐにつながるような特許や成果を求める。ここにvicious circle(悪循環)が完成したのである。
現在巨額の予算を獲得されて研究されているグループが沢山ある。以前でさえ基盤の差が十分あったのに現在では基盤の差を拡大することこそが効率的な 投資であると正当化しているように思える。これはおそらく米国を見習ってのことだろう。しかし新聞報道にもあったように研究予算にここまで差を付けている のは日本だけである。そしてその巨額の予算で,日本で一番優秀な学生を使い,また多くの優秀な内外から人材(ポスドク)を雇い,そして最高の設備で研究し てその成果をNatureやScience,Physical Review Lettersなど外国の会社や学会に「最高レベルの研究」として投稿し続ける。一方で,Journal of the Physical Society of Japan(以下Journalと略す), Progress of Theoretical Physics(以下Progressと略す)は,その国際的な地位を失い続けている。Japanese Journal of Applied Physicsにしても前記二誌に比べると健闘しているが決して最上という評価は得ていない。偉大な先達,湯川・朝永は言うに及ばず,故・久保亮五先生 (微粒子の理論,線型応答理論)や戸田盛和先生(戸田格子)は,殆どの仕事をJournalに投稿されてその国際的な地位を上げる努力をされてきたと思 う。現役では安藤恒也先生も単名或いはご自分がトップネームの場合,"Journal"に投稿されている。2008年ノーベル物理学賞を獲得された小林・ 益川両先生の受賞対象となった論文は"Progress"に掲載されていた。殆ど予算らしい予算を使わない理論の先生ですらこのように行動されてきたのだ から,巨額の予算を得て研究する実験家(名指しはしませんが)は,物理学会や応用物理学会から発行される雑誌に最高レベルの研究を投稿してその地位を上げ る努力をするのは使命の一つではないかと考える。現在物理科学系業界では,まるで「貴族」が,自らの名声のために巨額の研究予算を利用しているようにしか 感じられない。上に触れた「日本一優秀な学生」やかつてそうだったポスドクが,将来の「藤原北家」のような貴族となるべくNature, Scienceに投稿したがる傾向もあるだろう。しかし,人の上に立つ指導的な人たちには,先達の意志を継いでもらいたいものだ。本書のような偽りのデー タで華々しい成果を投稿するのを防ぐには,指導者の研究への関わり方を密にすること,そして安易に評価の高い雑誌に論文を掲載することによって自らを権威 付けることをやめることが肝要であると思う。私の知りうる限りではこれほど大がかりなケースではないが身近なところでも見聞きした。しかしその根っこは, 本書と共通する。
もしこの文書が誰かの目にとまって少しでも賛同が得られたらそれなりに嬉しい。逆に単に負け犬の遠吠えと受け取られる(こちらの可能性大)のなら遺 憾である。なお、本書の書評は、Physics Today 2009年10月号(Prof. Myriam Schalikによる)に掲載注 2されていた。私はこれに目を通さずに上記の主張をしている。近いうちにこれとかつて石黒氏が書かれた記事注3を読み 直して私の主張についても書き直してみたい。(2010年7月10日読了)
注1本書のなかではUniversität Konstanzから博士号を剥奪されたと書いてあった。しかし,2011年2月15日Physics World 2010年11月号によると裁判でSchönは,勝訴したので博士であり,ドイツ語圏ではHerr Dr. Schönとなる。
注2Physics Today, p. 57, October 2009
注3石黒武彦,夢物語でしかなかった最先端科学技術 物理科学研究での不正行為(上)(下)
,科学2002年12月
号,2003年1月号
第一稿日付:12.07.2010(今後も修正,書き足しなど気が済むまで行います。十分推敲していません。)Physics Todayの書評を読んだ。特に私の感想は変わっていない。更に石黒氏の記事を読み返した(17.03.2011)。本件に関する情報が十分得られていな いと感じられた。それゆえ新たに私の文章に変更を加える点はない。
現時点(2011年8月30日)まで本書を物理学会誌で取り上げる気はないらしい。物理学会の会員にとってこのスキャンダルは過去のことであり日本 物理学会会員はこんなこと絶対にしない,或いは出来ない,というスタンスなのであろう。憶測で申し訳ないが,物理学会に限らず我が国の研究者の中にはこの 件に翻弄された人もいるはずである。実際,疑惑の目で見た人もいる一方で,疑うことなくSchönの実験を追試した人もいるだろう。私は,本件を終わった こととして扱えるほど我々の研究環境が変わったとは到底思えない。
Constance Reid著弥永健一訳「ヒルベルト——現代数学の巨峰 」(岩波現代文庫) を読んだ。本書は,以前同じ出版社からソフトカバーの単行本として発行されていた。何時のまにやら絶版になっていた。しかし2010年5月文庫化されて復 活した。
David
Hilbertという名は,数学のみならず物理科学系分野の勉強した人なら必ず出会う人名であろう。例えばHilbert空間(量子力学に登場),
Hilbert変換(Kramaers-Kronigの関係式)などである。そして有名な19世紀最後の数学者会議で提出された有名な23の問題。加えて
量子力学の登場を予見したかのような著書数理物理学の方法
(Methoden der Mathematik
Physik)(Richard Coulantとの共著)等々。
少年時代から大学生,学位を得て教授となる当たりはまさしく順風満帆である。そしてもちろん彼の人生のハイライトは,世紀末の国際数学者会議での講 演であろう。とにかくこのあたりまではHilbertの興味の方向が,重要な内容を含んでいるのである。本書によると親友であった2歳年少の Hermann Minkowskiは,ヒルベルト以上に早くから才能を開花しているように思えた。この他登場する人物は,Hurwitz,Klein, Poincare, Weyl, Noetherである。名前が言及されるだけならGauss, Riemann,悪役KroneckerにCantor, Dedekind, Weierstraussもいる。これらの人物は,数学のオールスターである。わくわくするではないか。20世紀前半以前,私見を述べるとしたら Hermann Weyl迄は,まさしく数学には真の王者という人物がいたと思える。例えば,Newton, Leibnitz, Euler, Gauss, Cauchy, Riemann, Weierstrauss, Klein, Poincare, Hilbert, そして最後がWeylという具合である。これらの人物の仕事がそのまま20世紀以降に高等学校以降で学ぶ数学(ただし非数学者向けの教育だが)に対応す る。(2010年7月11日読了)
Leopold Infeld著市井三郎訳ガロアの生涯,神々の愛でし人
(日本評論社)を,本来読むべき年齢からおそらく35年ぐ
らい遅れて読んだ。文部科学省は,本書を高校生の課題図書とすべきだと思う。既に感想を書いたヒルベルトなどドイツ人とは対照的な人生をガロアは送った。
数学者にして過激な共和主義者,そして愛国者であった。かつて雑誌世界
に連載されていた藤村信パリ通信 夜と霧の人間劇 バルビー裁
判に揺れるフランス
にユダヤ人歴史学者がリヨンの殺人鬼ことクラウス・バルビーに捉えられ少年等と一緒に処刑されたシーンがあった。そのときその
歴史学者は,フランス万歳
と叫んで死んでいった。無関係とは思うが,私の頭の中ではガロアという天才数学者にして過激共和主義者の死と重な
り合った。
パリ近郊の町長の長男として育って,中学生になる頃にはいっぱしの共和主義者のように描かれている。王政打破を唱えて孤立するなか,数学教師の影響で読ん だ数学の本から数学に開眼した。ルジャンドルの著書を一週間ほどで読破しマスターしたようである。若くし数学書を素早く読み,マスターするのは天才にのみ 許されるのである。ほぼ同時期にこれも悲劇のヒーロー,ノルウェーの数学者アーベルによる五次方程式が一般に代数的に解けないことを証明している。このあ たりで互いに交錯しない二人の若き天才が同じようなテーマを追っていたのである。ガロアは更に方程式の研究に没頭しこんにち群論と呼ばれる分野の基本アイ ディアを得るのである。二度の受験失敗(フランスの誇り,Ecole Polytechnique)で,不本意にも格下げされた教師予備校(後にエコールノルマルに戻される)にしか入学できなかった中で彼は方程式論を追求し た。途中経過をフランス学士院に投稿するも原稿をなくされたとか掲載を拒否される(この張本人がPoisson方程式に名を残すPoisson)とか不幸 は続く。そして最後は,決闘の片割れになる。この決闘の前に彼のアイディアを書き殴る。「僕には時間がない」と叫びながら。未だ二十歳になり数ヶ月後に二 十一歳になる前に彼は陰謀による決闘に倒れるのである。彼の理論は,同時代人を圧倒していた。(感想文未完)(2010年10月18日読了)
加藤文元著ガロアー天才数学者の生涯
(2010年,中公新書)は,上にあるインフェルトの本を補うものである。本書では,ガロアの数
学についての記述は少ない。これはおそらく著者による物語 数学の歴史
(中公新書)に説明を入れられたからだろうし,多くの解説書もあるか
らだと思う。一例を挙げると,弥永昌吉ガロアの時代 ガロアの数学〈第1部〉時代篇
,同ガロアの時代 ガロアの数学〈第2部〉数学篇
(共
にシュプリンガーフェアラーク東京;特に後者)小島寛之天才ガロアの発想力
(技術評論社),中村亨ガロアと群論
(講談社ブ
ルーバックス)やリリアン・リーバーガロアと群論
(みすず書房)などがある。私は数学者でないものの,群論は商売上必要であるにも関わらず
勉強を逃げてきた者なので一般書籍のみを紹介した。(2010年12月22日読了)
2011年は,ガロア生誕200年にあたる。数理科学(数学はもとより,物理や化学,工学のなかの幾つかの分野を指している)に興味のある人は,是非とも 読んで欲しい本である。
長岡洋介著極低温の世界
(岩波書店)については私が過去読んだ本の中で最も感銘を受け,勉強になったものである。最近読んだ本では
ないし,久しく絶版のままである。それでも敢えて紹介したい。酸化物高温超伝導体発見以前に書かれた第一版,それを含めた第二版が出版されていた。私の読
んだのは前者である。高校生の知識で読破できるように工夫されている。それ以上にすばらしいと感じるのは,ここに物理があると思えるところである。よけい
なテクニックを排し,全面に押し出されるのは超伝導を理解するために説明される最低限の物理である。統計物理や金属に関する基礎を述べた後,本論である超
伝導,超流動現象が説明される。この難題にも物理的に説明されている。長岡先生の別の著書遍歴する電子
(産業図書;これも残念ながら絶版)
も,長岡先生の頭の中で整理された物理だけが提示される。私が本書や「遍歴する電子」を勉強して,すばらしい
と言ったら,我が師も長
岡さんは,物理をわかっている
と評していた。あまり知られているとは言えないし,題材がやや特殊では有るが,物理啓蒙書として最高だと思う。
本書は,理論化学を専攻し(九州(帝国)大学物理学科のご出身である)カナダのアルバータ大学で長く教鞭を執られていた藤永茂先生(ご高齢ではある
が,ご存命の上,ブログ私の闇の奥
を
運営されている。また,トーマス・クーンの科学論に関する考察をトーマス・クーン解体新書
として
展開されている.ただ諸般の事情により
前者にブログをしばらく休むように書かれていた.)による専門外著書の一冊である。私は元来アメリカ合衆国のことを快く思っていない。アホな日本人(ある
特定の人を指しているのでそれ以
外の方には関係ない)が,「自由の国」だとか言ってグリーンカードを取ったことを自慢しているのを見ると悲しくなる。本書の読後同じことが言えるとしたら
その人は木石に等しいといわせてもらおう。内容は,題名から想像できるであろう。もし読書で泣きたい人がいれば真っ先に本書を推薦したい。涙の踏み分け道
の章など涙なくして読めるかと言いたい。類書に新谷行(故人)著アイヌ人抵抗史
(三一書房)がある。どちらか一冊読めば十分だと思う。何故
かというと人の名前さえ置き換えれば日米の少数民族迫害手法は全く同じであるから。
藤永先生のご専門外著書訳書は,(著書)『闇の奥』の奥—コンラッド/植民地主義/アフリカの重荷
三交社,オッペンハイマー
朝
日選書(絶版)(訳書)Joseph Conrad著闇の奥
三交社,等である。ご専門に関連する著書では,分子軌道法入門
講
談社,化学や物理のためのやさしい群論入門
岩波書店(成田進氏と共著)等がある。
追加事項.東北大学大学院黒木玄氏が藤永先生のオッペンハイマー
を基に村上陽一郎氏の科学論についてコメントされていることを知っ
た.こちら
も,
参照してもらいたい.また,黒木氏のページに触発されたのでここに藤永先生のオッペンハイマーを再読して感想をアップロードしたい.
本書は,1987年に雑誌世界
に連載されていた故藤村信氏による記事を纏めた単行本である。大学院生だった私は武野正三先生からこ
のような雑誌を読んで批判精神を養うべきだ。本学(注:私の卒業した大学のこと。)生協には置いてないが,名古屋大学生協には平積みされていた。
と
か言われて世界を読み始めたのである。本書は,丁度修士課程を終えて就職する寸前に発行されたと記憶する。家から就職先に持っていき,工場実習か新入社員
導入教育中に読み終えた(1988年)。
私は,本書というかこの連載でフランスの民主主義の素晴らしさを認識したのである。内容は,リヨンの殺人鬼(注:wikipediaでは異なる名前。うろ 覚えでも私の記憶を優先する。)と呼ばれたバルビーが,第二次世界大戦終了後十分経ってから南米で捕らえられフランスに引き渡されて,フランスで受けた裁 判を顛末を詳述している。バルビー裁判は,単にナチの残党が見つかったという次元ではない。バルビー自身は,精々中尉でたいした役職ではない。しかし,彼 は,フランスレジスタンスの英雄ジャン・ムーランをナチスの傀儡政権ヴィシー元帥による統治下逮捕し殺害した。重要なのは誰がムーランをバルビーに売った のかである。
当時フランス国民が全員対ナチ抵抗運動していたのではなく,右翼組織ミリスなどはすすんでユダヤ人等の迫害に手を貸していたのである。そのような事
情のためか,バルビーの弁護を引き受ける予定だった辞め検弁護士が,右翼の脅迫で断念する。そこで登場するのがベルジェス弁護士である。私の記憶では元共
産党員だった人権活動家である。アルジェリアによるフランスに対する抵抗運動なんかで活躍したと記憶する。裁判の中でバルビーにムーランを売ったと目され
る人が自殺したり真相は闇のままである。バルビーに捕らえられユダヤ人歴史家が共に捕らえられたユダヤ人少年とフランス万歳
と叫んで処刑さ
れるシーンなど圧巻の記述である。わたしは,その後本書の他パリ通信を楽しみに世界を購読し,単行本になれば必ず購入した。ヨーロッパ右往左往
,ユー
ラシア諸民族群島
(注:ソルジェニーツィン著収容所群島
をもじったと思われる。),美(うま)し国フランス
な
どを読みあさった。その後私はフランスへの憧れから関西日仏会館(Institut Franco-Japonais du
Kansai)の土曜日開講のフランス語講座を受講するという暴挙に出た(先生は,Madam Yamina
Laïebであった。日仏会館のホームページによると現在も教鞭を執られている。非常にいい先生なのでフランス語を勉強したい人に,Mme.
Laïebの講座を受講することをおすすめしたい。ちなみにご主人は日本人である。)。本書は,私にとって忘れがたき一冊である。
江沢洋氏が,中学生向きに書かれた科学啓蒙書である。PlanckやEinsteinの量子,光量子登場まで,すなわち前期量子論誕生までに人類が
原子という実体を追いつめるまでを描いている。話の中心は,やはりEinsteinのブラウン運動並びにPerrinによるその検証と言えよう。私は,最
近量子論
量子論入門
と
いう学部の講義を引き継いだのでそのネタに本書を読んだ。しかし本来なら大学生以下の年齢で読むべきであった。それでも大人であるからこそ楽しめた面もあ
る。本当に中学生や高校生が読むのなら最低でも大学生できれば理科(高校なら物理か化学)の先生の指導の下で読めば本当に勉強になると思う。この本が絶版
になっていることを腹立たしく思う。しかし,これは我が国の科学技術に対する現状を図らずも物語っているのである。少なくとも本学教育学部で理科の先生を
目指す学生諸氏は,この本の存在すら知らないだろう。(2008年4月19日読了)
本書は,ノーベル医学生理学書を受賞した故John C. Eccles畢生の名著である(と思う。)。原題は,The evolution of brain. : Creation of the Selfである。東京大学出版会から伊藤正男の翻訳で出版されていた。伊藤氏もEcclesの所に留学していた,我が国における脳研究の第一人者である。 現在は新品を入手できない。人類の進化を絡めた気宇壮大な本である。Ecclesは,晩年脳の二元論に傾いたらしく,そのため本書の評価を低めていたとし たら残念である。図書館には必ず入っているので読んで欲しい。1990年代に読んだので読了日の日付は分からない。1
1読了日を確認したところ1997年2月2日であった。本書は,故朝永振一郎による一般人向けの解説書である。おおよそ熱までの説明で終わっている。完成前に亡くなられたからである。縦書きで式の利用を 抑えて はいるものの,集中力を要し読み応え満点の解説である。物理ブックガイドとかいろいろなところで推薦されている。それ故私も読んだ。読んだどころか3回は 読んだ。しかし,十分理解したと胸を張って言える自信はない。高密度の解説書である。大学生から大学院生の間に読んだので読了日は,分からない。本を見る と端っこは酸化のためか茶色に変色した。死ぬまでに私はもう一度挑戦するだろうし,しなければならない。そして朝永先生が,これから先どのように書くつも りだったか自分なりに完成しなくてはならない。それが本書の読者個人に与えられた著者からの宿題である。
私は本書を英語版でベルリン滞在中に読んだ。オリジナルは当然ドイツ語である。敗戦後のベルリン在の女性が,ようやく未来に希望を持てるようになっ た矢先に殺人鬼によって命を奪われる。犯人を追いつめる刑事も戦争の被害者である。GHQと当時のベルリンの警察との関係が,日本風に言うと所轄と本庁, アメリカ風なら市警とFBIとの関係性として描かれる。しかし著者の主眼点は,猟奇殺人の顛末より各階層にわたるドイツ人女性のナチスドイツ支配下そして 戦争中を通じてその生活と苦難を描くことにあると思った。感情移入してしまうと悲しくて読めない,そんな悲惨さである。それは単に殺されると言うことより ナチスの迫害,戦時における困難に対してである。
最近長崎出版と言うところから本書の邦訳が出版された。邦題の後半が頂けない。特に生け贄という言葉に反感を覚える。しかし,よっぽどの人でないか ぎり日本にいて外国語の本(おまけに英語版の活字が小さくて読みづらい。)を読むのはしんどかろう。その意味で母語で読めるのは有り難い。我々自身の歴史 と対比するためにも手にとって欲しい。
リーマン予想に関する素人向き解説書である。黒川信重氏などこの分野で著名な執筆者による記事を集めてある。去年なくなった佐藤英雄先生との会話で 時々この種の話題が出た。この解説書の中で私にとって心揺さぶられるのはオイラーのゼータ函数中の変数sを実数から複素数に 拡張し,解析接続に より全複素面で定義したという下りである。私のような世代の人間は一応学部学生時代に複素函数論を習う。そのなかで解析接続まで習うことになっていた。し かし,工学部系教育を受けた私にとっては留数の定理とその応用までで満腹であった。未だにちゃんと勉強すれば良かったと後悔する一例である。リーマンによ り拡張されたゼータ函数は,リーマンの名前を付けられ区別される。そしてリーマンは,そのゼロ点を相当数手計算で求めていたことがその後残された遺稿†か ら明らかにされた。リーマン予想は,そのゼロ点の分布に関する予想である。日本語では予想と表記される英語の単語には私の知る限り二つある。 hypothesisとconjectureである。前者は否定的な解決もありうるというニュアンスであり後者はほぼ間違いないが厳密な証明がないという ことであろうか。リーマン予想は前者のhypothesisとされている。本書は,その解決に尽力する人の希望的観測を含めた解説書で数学ファンなら手に とって欲しい。
†遺稿と言ってもメモ書きみたいなもので,多くはリーマンの家政婦により焼却された。残りはジーゲルに託され,解読されたのであっ た。
本書は,David Dunmur and Tim Sluckin, Soap, Science, and
Flat-Screen TVs : A History of Liquid Crystals
,
Oxford University
Pressの翻訳である。原著にはない,日本における液晶開発の歴史が翻訳者鳥山和久氏によって語られる章が本書にはある。私がこうして書いているノート
パソコンの表示部は当然液晶である。日々これほど親しんでいながらそのことに思いをはせなかったことについて恥ずかしい。これは絶えず携帯電話を触ってい
る人が,中身の半導体や液晶ディスプレーを当たり前のこととしてそれ以上知ろうともしないことと同じではないか。ジュンク堂BAL店で何となく娯楽作品以
外,特に生命科学の本でも読もうとうろうろしているときに,この朝日選書に行き当たった。そして正解だった。液晶研究のとっかかりからの100年を越える
歴史,特性,研究者の生き様をこれほどうまくまとめた本はおそらくないだろう。実際に液晶の仕事をしないまでも研究者,技術者を志す人は,モデル事例とし
て読んでおくべきだと思った。そして本書がおそらく原著に勝っていると思うのは,元日立製作所中央研究所で液晶の開発から事業化までを目の当たりにしてき
た翻訳者に依るところが大きい。翻訳者が,内容をほぼ完全に把握していて自分でも同じような内容の本を書けるぐらいの人だからである。余り自分の感動を押
しつけたくないが多くの人に本書を読んで欲しい。例えば学生に対して例えば面接の仕方とか某新聞とかを就職対策で読むぐらいならこちらを読めと言いたい。
研究に対する闘志と情熱をかき立ててくれる本である。(2011年8月28日読了)
†産総研 福田順一氏による本書の書評が,日本物理学会誌2012年4月号269ページに掲載された。これをここに記載するのは, 要するに私の感想文が物理学会誌より早かったと主張したいのだ。ちなみにあるハンドル名でたなぞうというサイトに本書の感想を載せていたのでそれもこの際 だから再録しておく。
こんな素晴らしい科学書を読んだのは久しぶりである。ドイツで始まった液晶の研究がフランス英国などヨーロッパそしてアメリカに飛び火し,皮肉なこ
とに最後のランナーであった日本が液晶ディスプレーの製品化に成功した。二度の戦争に翻弄された人やスターリン主義の犠牲になった人など思わず落涙してし
まうようなエピソードも添えられている。一方,液晶の本性に関わる専門的な説明を本文とは分けてある。訳者がこの分野を熟知していると感じさせる翻訳で
あった。訳者の後書きのかわりに当事者として日本における液晶の歴史を語られている。これも十分一読の価値がある。おっちょこちょいの私は液晶で何か仕事
できないかと考えてしまった。
現在では大型液晶テレビは,韓国のメーカーに押されてしまった。最近我が国では何処何処の国に負けているとかよく見かける。しかしそれを言うなら液晶にお
けるドイツを見なさいと言いたい。ドイツが液晶テレビで負けたとかいちいち言っているように思えない。この液晶の発展は研究者の創意工夫と努力によって成
し遂げられた。この素晴らしい物語が今見ている液晶テレビを見るとき思い起こしてもらいたい。就活中の技術系学生諸氏に特に勧めたい。某経済関係の新聞を
就職に有利だからという理由で読むぐらいなら本書に取り上げられた科学者技術者の姿勢を見習って欲しい。来月*には閉じられるサイ
トで何処まで見て貰えるか分か
らんがとにかく大推薦である。
*既に閉鎖されている.
本書の存在自体は,岩波書店の新刊紹介で知っていた。「どうせアメリカ礼賛の本だろう」と思っていたら,藤永茂先生のブログ私の闇の奥
でさにあらず,であるこ
とを知り,急遽読み始めた。
本書は,Naomi Klein, "The shock doctrine"の全訳である。本来なら読了後感想を述べたいのであるが,既に心揺さぶられているので必読書としてあげたい。ノーベル経済学賞などと言 う立派な賞がある。そして,本書で取り上げられるミルトン・フリードマンが受賞者の一人である。此をもってして既にこの賞になんら意味がない。**む しろこの賞のために多くの人が苦しみ,拷問で,あるいは貧困からくる栄養失調で,あるいは処刑で死んでいったのである。本書はこれを糾弾追求するための証 拠が挙げられている。本書を読みながら想起したのは,人気だけで首相を務めたK,そのブレインとなったK大学経済学部教授Tである。こやつらは導師1フ リードマンのプログラムに則り民営化に狂奔し,その後Kの属する政党が政権政党から滑り落ちたことは記憶に新しい。経済音痴のKがTを重用した。ある国営 機関を民営化するためだけに。経済音痴の支配者が経済顧問として新自由主義者を迎える構図は,本書でいやと言うほどであう。一方,Tは本来国益のためフ リードマン一派の魔の手から我が国を守ることが本来の役目ではなかったのか。しかし,Tはおそらく民営化,規制緩和こそが国益という,まさしく新興宗教の 信者のようにフリードマン師のご託宣を並べ立てるであろう。政権交代後けっして我々の生活がよくなったわけではない。しかし,それでもKとTの行った事 は,国民の大半から否決されたことだけは彼らにも理解してもらいたい。新聞テレビでも時々Tのとっちゃんぼうや面を見せられるのが不快きわまりない。所詮 マスコミも彼らと同じ穴の狢なのであろう。最近Yを退社しフリーになったアナウンサーSなんかは明らかにそうだ。とにかく2011年10月12日段階では ここで止めておき全巻終了後に再び感想を認めたい。本学経済学部教授にも本書の感想や私のTに対する思いなど確かめてみたい。
上巻読了(同13日)した。イントロダクションで,本書を貫くショックを与えて自分の好き勝手にできるようにするための技術として胸が悪くなるような拷 問,洗脳の人体実験から語られる。そして経済に関する具体的事例は中南米諸国から始められる。その中でチリもピノチェの虐殺の件で取り上げられている。私 はチリについてガルシア・マルケスのノンフィクション「戒厳令下チリ潜入記」2を 読んでいたことを思い出した。しかし,マルケスのルポルタージュにはピノチェの行為と経済の関連については触れられていなかった。上巻の最後に,ロシアの ことも取り上げられている。ロシアは,案の定チェチェン問題を隠れ蓑に使い,結局新自由主義に突っ走ったのである。プーチンは全く満を持して登場という感 じである。ソ連時代弾圧の代表KGB出身で共産党のためにあらゆる手段を行使し,ソ連崩壊後は新自由主義の教義のため何でもするのである。
下巻は,アジアから始まる。スマトラ沖地震,イラク侵略などである。胸くその悪くなるような記述が延々と続く。ブッシュ,ラムズフェルト,チェイニーこそ が真のならず者である。一番強いならず者には誰も逆らえなかっただけなのである。韓国における悲惨も書いてある。今サムソンが絶好調で,日本の大手電機 メーカーが苦境にあえいでいる。しかしおそらく韓国の実情も貧富の差が広がり富める者が富んでいるということであろう。最終章で漸く悪夢から覚めるときが 来る。中南米諸国の毅然とした態度に感動した。一方足下に目を向けると沖縄の基地問題はどうなるのだと悲しくなる。もちろん事情が違うから石油産出国のよ うに強気な態度は取れないだろうし,おそらく多くの国にとって我が国も同じ穴の狢と映っているかもしれない。希望の端緒が見えたところで本書は終わってい る。それから三年経って果たしてどうだろうか。検証したいところである。(2011年10月23日下巻読了)3
*「金融が乗っ取る世界経済 - 21世紀の憂鬱」(中公新書)という本が碩学ドーア著で出版された。こちらは経済学者の手になる警告の書である。
**ノーベル経済学賞受賞者を断罪する本が出版されていた。(筑摩書房刊。マクロスキー,ノーベル賞経済学者の大罪 増補版
(ち
くま学芸文庫)
1名門シカゴ大学教授(故人だから名誉教授とすべきか)という正式な肩書きがある。しかし,本書を読めば新興宗教の教祖のような呼 び名がふさわしいことがわかる。
2ガブリエル・ガルシア・マルケス「戒厳令下チリ潜入記」岩波新書黄版359,岩波書店
3絶対に会社の経営に携わっていなさそうなサラリーマンが見栄でよく読んでいる某経済新聞では年末(12月25日付)の読書欄でベ
スト3を評者が選ぶという企画で本書は漏れていた。案の定某経済新聞は,フリードマンをグルとする新自由主義
教に毒されていると断定する。
通常の新聞や保守的な週刊誌ですら本書の意義を認めているのにである。
最近Franck Thilliez著平岡敦訳シンドロームE
上下 (早川書房)を読了した。本書は,ショックドクトリンに触発さ
れたのではないかと思っている。ショックドクトリンの冒頭にあるカナダにおける実験はまさしくシンドロームE
に扱われる事件のきっかけだと
いえる。
カリル・フェレ著マプチェの女
(早川書房)を読了した(2016年5月3日)。本作では先住民族であるマプチェ族の血を受け継ぐ芸術家と探偵を中心に話が展開する。
本書は,ショックドクトリンの穏健版という感じのやはり新自由主義に対する批判書である。最近ウォールストリートなどを占拠したデモ隊のスローガン は本書 の副題からとったと思う。個人的には,本書の方が詳しく金融について述べているので読みにくかった。しかしいくつか印象に残ったところがある。例えば水源 ビジネス。絶対に民営化‡さ せてはならないと思った。それと種苗メーカーのモンサントおよびタッグを組んでいるゲイツ財団。アフリカなどに種を渡すが,その作物から次年度の種は取れ ずモンサントから買わねばならぬ仕組みになっている。それを推進するのが一見親切なゲイツ財団というまさしく名コンビである。もしゲイツがこの仕組みを知 らずに組んでいるとしたら親切の押し売りと言うべき財団である。本書の読後,TPPに簡単に参加してはならないと思った。
‡2012年3月10日付けの新聞で水道局を民営化するとノタマワル市長Hが近畿地方の大都市 に現れた。そこの市民に老婆心ながら注意を喚起するとともに近畿地方の各市町村長には如何なる水源を守ることを宣言してもらいたい。水道事業を民営化する とかならずよからぬ輩が現れて水源をとるのである。H及びその都市だけの問題ではないことをその市民には気付いて欲しい。あなたたちのせいで近畿地方の水 が安心して飲めなくなる可能性があるのだ。
本書The Infinity Puzzle
は,量子力学以降,今日場の量子論と呼ばれる分野の発展と開拓者の苦闘に焦点を当てた
ノンフィクションである。特に印象深いのは研究者間の競争である。理論の説明よりも人間や本書の最後に言及される巨大加速器にページが割かれている。もう
少し場の量子論そしてその先にある紐理論,超紐理論,ブレインの要旨を説明して欲しかった。ただそうすると多くの読者を失うことにもなる。ちなみに,高
橋ーWardの恒等式で知られる高橋康先生や,小林・益川の師匠坂田昌一の名前は出てこない。もちろん小林・益川も出てこない。日本人によく知られている
名前では湯川,朝永,そして南部であった。この三人は別格で私の個人的な印象では南部の評価が高いように読み取れた。昨年出版されたところで未だ訳書のな
い本なので私の英語力でどこまで読み取れたが不安ではあるが,読んで楽しかった。(2012年3月5日読了)
本書を読んでみようと思ったきっかけについても触れておきたい。私は研究テーマとしてカーボンナノチューブとグラフェンを取り扱っている。これらの物質
は,科学的にも産業的にも注目を集めている。その中に凝縮系物理理論の大家・安藤恒也先生とその流れをくむ人たちがいる。例えば一時本学に在籍した越野さ
ん(在籍中にお会いしたこともない)や中西さん(国際会議で一度会った)などなどが活発にこの分野で活躍されている。安藤恒也先生は,これまで固体物
理とか物性物理とか言われた分野(これらを統合して凝縮系物理と呼ぶ)に相対論的効果を持ち込まれた。具体的に言うと純粋な二次元物質であるグラフェン並
びにそれを丸めた擬一次元物質であるカーボンナノチューブ中の電子の振る舞いは,Weyl方程式で記述されるという。Weyl方程式は,質量0のニュート
リノを記述する方程式である。ここから弾道的電気伝導などが自然に導かれるのである。このような相対論的な場の理論や相対論的量子力学の知識を必要とする
物理が凝縮系に持ち込まれたのである。これは,実験的研究を行うものにとっては拷問にも等しい出来事である。前の世代の理論家であった私の師匠は,ご自身
では勉強されただろうが,私には必要ないでしょうと学生時代に言われた。それで相対論的量子力学の勉強を飛ばしても良かろうと判断した。自己弁護ではなく
20−30年前の工学部系学生がこの判断をしたのは正しいと思う。しかし,50歳を越えた今,少なくとも安藤恒也先生とその一派の衒学に惑わされないため
に場の理論を勉強しなければならないと感じたのである。実際は,50歳前から計画して仲のいい人たちには話をしていたが。こんな状況で本学の先輩同僚であ
る石塚亙先生が素粒子物理学で学位を取られているので何度か相談している内に大学院の講義として場の理論を取り上げてもよいと言ってくださった。そこで江
澤潤一著量子場の理論
(朝
倉書店)を教科書にして2011年度後期に素粒子論特論でセミナー形式の講義が行われることになった。ここには,システム工学部の学部生(院生の参加が好
ましかったが院生は院の講義で忙しい)が参加していた。私は講義を聴講させてもらう形で参加した。それ以来場の理論のテキストをいろいろ探し,また,予備
知識を得るためにはどうしたらいいかと本来の目的を外れて考え始めたところに本書と出会った。本書は,Cern
Courierという欧州の加速器機構発行の雑誌(インターネット版)1/2月号の書評に取り上げられていた。価格も手ごろだったので早速購入して読んで
みた。成果はと聞かれるとこの本の主眼は,場の理論の説明ではなく上に書いたようにむしろ人間ドラマであったと曖昧に答えておこう。
Marcus du Sautoyによる本書は,丸善・ジュンク堂梅田店に陳列されていた。購入したのは,昨年8月だったと思う。ようやく読みおえた。非常に軽いエッセイ風の 読み物である。ページ数も290ページほどでたいしたことないのにこんなに長い時間を要したのは余り面白くなかったからだろう。暗号と素数の話,数式を 使って奇妙なサッカーボールの動きを解析する話,図形に関する話題など豊富である。私は試していないがインターネットからファイルをダウンロードしてゲー ムや紙工作を楽しむことも出来る。これを実行しなかったので面白くないと思ったのかもしれない。もう少し早く読めたらいいのに。(2012年5月10日読 了)
最近邦訳が新潮文庫から出ていることに気付いた。
朝倉健太郎,安達公一氏の共著による本書は,光学顕微鏡から始まり,ドイツにおける創始者Ernst
Ruskaらの電子顕微鏡開発及び我が国におけるその開発史を記録している。これらの人々の努力には上の液晶の歴史
のような熱い思いがこみ
上げてくる。惜しむらくは,電子顕微鏡の動作原理及びその周辺の基礎を殆ど触れなかったことである。しかし,自分も何かしたいという思いを起こさせてくれ
る。最後に,誤りを訂正しておく。日本において初めて原子像を観察した橋本初次郎†氏は,京都工芸繊維大から阪大工学部応用物理学
科に移動して退官された。その後岡山理大に所属された。本書の中では岡山大となっていた。実は,もう一点間違いと思える点がある。しかし,本書は絶版だし
内容には余り関係ないから自信のある所だけ指摘した。
本書は,強結合プラズマの研究者,一丸節夫先生の一般人向け著作である。正確に強結合プラズマの理論家と書いていいものか個人的にはわからない。そ のように大学院生の時に故武野正三先生から聞いていたのを覚えていたのである。
宇宙の話から地球環境,生物へと話が進む。宇宙に関しては,ご専門またはそれに近い故に私には難しいと感じた。本書では読者層を一般読者と想定され ていると思う。なぜなら参考書などが明らかに不足していて,内容を確かめたいのに参考文献や引用が不完全,というよりほぼないのである。この点が残念で あった。オンライン書店大手アマゾンの読者書評では,一丸先生の後輩と称する方が5つ星の評価をされていた。私もそれに近い評価をしたい。ただ減点は,事 実上参考文献皆無という点である。殆どの読者には不要であったとしても記載しておいて欲しかった。
本書の内容とは少しずれてはいるが,一丸先生の元同僚であった,故John Bardeenの遺訓を紹介されていた。私のホームページへの彩りとして研究ページに出したいと思った次第である。(2012年8月2日読了)
このホームページは職場のサーバーにあるから青少年にとって有益な本を中心としている。これもその例である。読後すぐに次のようにメモした。
久しぶりに感動した。フーコーが何度も拒絶あいながらも学会や有力者に認めさせる成果を上げていく姿は圧巻である。また,振り子というありふれた現象が科 学的に深い意味を持っていることを再認識した。(2013年4月25日読了)
私は本書のタイトルを岩波書店のホームページで見て何かの冗談かと思った。というのは,自転車運転者の一部が歩行者や交通規則を遵守する者に横暴横 着の限りを尽くすからである。 確かに警察を含め行政が自転車の地位を曖昧にしたままにしている点で本書の題名は一面正しい。ただ一歩行者として歩道を歩くと自転車運転者に対して怒りを 抱いてしまう。本書の著者は,毎日新聞の記者とかでテレビにも出演していた。自転車のマナーに関しては小学生に教えたらいいという全く持って不見識,無知 な 意見を述べていた。小学校に警察などが出向いて教育しても家で真っ向反対の意見を吹き込まれることを考慮したら実効性に疑問符を1000個ぐらい付けなけ れば ならないだろう。小学校3,4年生を遅刻しそうとかの理由で二人乗りで送り届ける親がいるぐらいである。交通ルール守れと小学生に教えても家でそれを 言えば親が鼻で笑うだけだ。小学校に出向くなら保護者にも伝えなければ何の意味もない。昨日(2014年11月16日午後3時半頃寺町通四条下るあた り),寺町通りの西側から東側に渡る際,横断歩道を渡ろうとした刹那,40代の女性が私の目前を歩行者である私を無視して寺町通りを上がっていった(上が る=北向きに進む,京都では多くこのように表現する)。これまで横断歩道で歩行者無視・信号無視する自転車にここ数年で3度体験した。そのうち一度は40 代と二十代の母娘に驚かされたことがあった。母親が信号無視して横断歩道歩行し始めた私をひきかけて,その後ろにいたその娘が轢かれそうになった私をにら み付け ていった。これは京都特有の事例なのだろうか。
私のような体験をしている人は沢山おられると思う。これを単に行政の怠慢とは単純に考えて自転車に冷たい
とは言えないと思う。乗る側の精神性も問いたい。
私自身自転車を唯一の交通手段にしているからなかなかもって糾弾しにくい立場にある。それでも
言わずと知れたJames Clerk
Maxwellの伝記である.この人は,他の偉人のように強烈な個性を持たない,言い換えるといい人だったらしく少年時代のエピソードなどあっさりと
したものである.意外なのはMaxwellが本国でそれほど評価されていないことである.ここで本国と書いたのは,Englandを中心にした連合王国の
ことである.事情は
彼の出身地であるScotlandではどうかとは言及されていない.そういえばGaloisもフランスでは一般人には知られていないからそんなものかもし
れない.仕事柄どうしても電磁場を記述する方程式をすぐ思い浮かべてしまう.しかし,Maxwell-Boltzmann分布など彼の業績は現在の熱統計
物理
にも記されている.しかも光,特に色については自宅で妻と一緒に実験をしていたようである.本書は,マクスウェルの
著書Treatise on Electricity and Magnetism
を熟読して感動したOliver
Heavisideの言葉で閉じられる.Heavisideももっと評価されていいように思うが残念ながら
一部の人にしか知られていないだろう.本書の邦訳は,未だにない.しかしHeavisideの伝記は邦訳されているというのも皮肉である.というのは
Heavisideの伝記は
分厚くて長いのに対し本書は200ページそこそこでしかも著名である.
現実からの逃避本能から本来すべき2016年度用科研費申請書作成をほったらかしてこれらの本を読んだ。
堀田佳男, エイズ治療薬を発見した男 満屋裕明
, 文春文庫は,
研究者になりたい,あるいは自称研究者に対して読みなさいと推奨されるべきと判断した。最近では特許や政治ともきっても切り離せない
研究,特に医療分野での生々しい話題が本書に盛り込まれている。しかし重要なのは主人公・満屋先生の研究に対する情熱と献身,そして医師としての矜持である。
著者または出版社に苦言を呈したい。p73, p154に痴呆という言葉が記載されている。この言葉は,現在では
認知機能障害とか認知機能低下とか言い換える必要性を感じさせる。私の母が4年前に脳出血を起こして
緊急入院した際,担当の脳外科医から痴呆
が始まるという言い方をされた。不快な言葉であった。意味としては同じでもこの言葉にはいい意味はないし,現実に世間では痴呆症から認知症に名称変更されている。従って医療に携わる人を主人公に添えている以上適切な用語に変更することを求めたい。
満屋先生の論文が掲載されたProceedings of the National Academy of Sciences of the United States of America(略してPNAS)を医学誌と記述されている。これは誤りである。PNASは,広義の科学全分野にわたる研究を対象とする雑誌である。私の考えではNatureとScienceに掲載拒否されたら分野によってはここを狙うような雑誌と思う。
The Human Side of Science: Edison and Tesla, Watson and Crick, and Other Personal Stories behind Science's Big Ideas, Arthur W. Wiggins and Charles M. Wynn Sr.
本書をKindle版で読んだ。大半の登場人物についてのエピソードなど読んで知っていた。その他,本書の英文は,非常にわかりやすい平易であった。その相乗効果で予想より早く読了できた。大学の英語の教科書にしてもいいとすら思うぐらいである。本書のことを知ったのは,Physics Today(page 60, July 2016)の書評である。取り上げられている人物の中で,嫌な奴と思うのは,エジソン,ワトソン,そしてアインシュタインである。エジソンは良くも悪くもビジネスマンである。本来なら本書に取り上げられる必要ない人物であろう。テスラとの関連で外せないだけである。ワトソンは明らかに男尊女卑である。これは彼の著書においても物議を醸した。アインシュタインは,平和主義者として,そして科学者としては全く異論の余地のない偉人である。しかし,家庭人としてはどうかなと思った。例えばマクスウェルと比べると日本の成金親父みたいな感じである。一方,マクスウェルは本書では取り上げられていないものの,つまらないと言っても過言でないほど良きリーダーであり,家庭人でもあった。もちろん科学者としての業績は本書で取り上げられて然るべきである。いい人だったからこそhuman side
の観点で取り上げようがなかったのかもしれない。
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