1. らせん構造を有するヘリセン分子の合成および構造解析

 自然界には様々ならせん構造を有する分子が存在しており、それらは右巻きまたは左巻きに由来するキラリティーを持っています。そして生体内での反応の多くは、このらせん構造のキラリティーに基づく不斉反応です。このため、らせん構造の構築やらせん型分子を用いた不斉の発現および分子認識は興味が持たれる研究分野となっています。ところが、これらのらせん構造を持つ分子は一般的に合成しにくく、また壊れやすいものであるため、現在のところ未開拓の研究分野となっています。
 芳香環が6個以上オルト位で縮環して形成した分子であるヘリセンはらせん構造を持つ分子で、非常に安定な化合物です。ところが、光学活性なヘリセンの有効な合成方法は知られておらず、ヘリセン分子を用いた不斉反応や、分子認識の例はこれまでにほとんど報告されていません。そこで、光学活性なヘリセン分子の効率的な合成方法の確立をめざして研究を行ってきました。

らせん構造を有するヘテロヘリセン分子

 6個以上の芳香環がオルト位で縮合したヘリセンは、両端の環の立体障害のためπ電子系がラセン上にねじれ、このため「右巻き」と「左巻き」に由来する「キラリティ」が存在します。ヘリセンは高ひずみの非平面π電子構造を有するにも関わらず、熱や光に対して安定な分子であります。特に官能基を有する光学活性ヘリセンは、不斉配位子、有機非線形光学材料、光学活性カラムの固定相などへの利用に期待される興味深い分子でありますが、合成が困難なためこれらの研究は未開拓の分野となっています。したがって、光学活性ヘリセン分子の大量合成法を開発すれば、π電子系ラセン構造の特有の反応や機能・物性に関する研究が可能となると考えられます。

ヘテロヘリセン分子の“四葉のクローバー型”超分子構造


 これまで、我々は1)D?カンファーから得られる二環性アミノアルコールをキラル源として用いたジアステレオ選択的な合成法、2)リパーゼを用いたラセミ体のヘリセンの光学分割、3)軸不斉のヘリシティへの変換を用いる合成方法の三種類の方法によって、官能基を有する種々の光学活性へテロヘリセンの効率的な合成方法の開発を行ってきました。この研究の中で、ヘリセンジオールをさまざまな溶媒から再結晶して得た溶媒分子を取り込んだ包接結晶や水素結合で会合した超分子結晶をX線結晶構造解析によって明らかにしました。
 取り込んだ溶媒の種類やヘリセンジオールの立体構造で超分子構造は大きく異なり、ヘリセン骨格の構造も大きく変化します。具体的には、下図に示したように末端のチオフェン環のなす角度は33.8°から54.5°まで60%以上変化し、末端のメチレン炭素環の距離も4.37Åから5.76Åまで30%以上変化します。

分子ばねの様子

 ヘリセンジオールの結晶中での「超ヘリカル構造」と「バネのように伸縮する現象」は、我々が初めて見い出したもので、「分子スプリング」の研究は、有機化学だけでなく、広く科学全般に興味が持たれる研究内容であり、「モレキュラー・マシン」という新しい研究分野の展開につながる極めて独創的な内容と言えます。

分子ばねの模式図