ホログラフィとの長い付き合い

ホログラフィック・ディスプレイ研究会会報HODIC Circular 31巻1号 (2011)の巻頭言に執筆したものを一部変更したのものです.

ホログラフィという言葉を最初に耳にしたのは1984年のことです.大学2年の応用分光学か光学機器IIという講義で習いました.どちらが先か定かではないのですが,両方の講義で習ったことは確かです.漠然とRGB三原色を使えばカラーの立体映像ができるのにと思っていました.あくまでも座学としての知識でした.3年生になると実験でホログラフィを選択する機会があったのですが,何を思ったのか選びませんでした.今となっては何とアホなことをしたのかと後悔をするだけです.ホログラフィの実験は人気があったので,おそらく「みんなが面白いと思うことなんかやらんでもええわ」という根っからの天の邪鬼の精神が顔を出したのでしょう.この機会を逃したばっかりに,実際にフィルムを使ってホログラフィの実験をするのは1998年になってしまいました.実に最初の機会から10年以上も後のことです.

では,その10年以上の間がホログラフィに関して空白の期間であったかというとそうではありません.博士前期課程,後期課程を通してインコヒーレントホログラムを用いたハイブリッド光情報処理の研究でどっぷりとホログラフィに浸っていました.今で言う(インコヒーレント)ディジタルホログラフィの研究をしていたというわけです.

1995年に和歌山大学システム工学部創設準備室に赴任し,学部創設の準備(1996年に1期生を迎え入れる)をすることになりました.光メカトロニクス学科の学生実験でホログラフィの実験を実施することになり,その準備をすることになったからです.実際にホログラフィを撮ったこともないので一抹の不安はありました.しかし,なんとかなるやろという楽天家であることと,できないとは言えない光の研究者のプライドのおかげで無事に準備を終えることができました.ただ,当初はなんと1つのテーマに12回(毎週2回,6週間)も実施日があったのでメニューに苦心しました.平面波どうしの干渉,点光源のホログラム,マスコットのフレネルホログラム,マスコットのイメージホログラム,二重露光法による片もちはりの変位計測と盛りだくさんでした.その後,カリキュラムの改変があり6回になってしまい,内容も点光源のホログラム,マスコットのフレネルホログラム,二重露光法による片もちはりの変位計測に減りましたが,これでも教育的効果は絶大でした.

実験の最初の時間にホログラフィの復習をして,実際に再生像を見せる(何が見えるかは教えない)ようにしています.見るコツを掴めていない学生は,最初苦労をしているようですが,見えたときに本当にいい表情をします.こちらは何もしていないのに,「なっ,見えたやろう」と誇らしげに言いたくなってしまいます.ところが,さらにカリキュラムの改変があり,ホログラフィのテーマも2010年度で終わってしまいました.ホログラフィ用のフィルムであるコダックのSO-253(製造中止の知らせを聞いたときに大量に購入しました)も在庫が尽きましたので,潮時なのでしょう.

研究の面では,先に述べたハイブリッド光情報処理の後,2000年頃からディジタルホログラフィと光暗号化を組み合わせた研究をおこなうようになり,現在では,ディジタルホログラフィを含むディジタルオプティクスの研究に従事しています.これから先もホログラフィと縁のない研究生活を送ることは想像できません.10年後,20年後,どのように(ディジタル)ホログラフィの研究が進展していくか楽しみです.これまでの10年や20年よりも何倍も速いスピードで進展していくでしょうから.もちろん,当事者としても取り残されないように食らい付いていきます.

(追記)いわゆるホログラフィらしい研究は減りましたが,それでも広義のホログラフィの研究は続けています(2021/12/24).

2021/12/24

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