━ 和歌山大学に入学した理由を教えてください。
私が高校3年生の時、阪神淡路大震災があって、多くの家が倒壊したのを見ました。それで、漠然と建物をつくりたいなと思っていました。
それもあって大学は建築系の学科で、学費の安い国公立と考えていましたね。もともとは、他大学の建築系を受験するつもりでしたが、きっかけは和歌山大学に理系の受け入れ先として、システム工学部が新設されたことですね。環境システム学科が建築と自然環境系を両方学べるということだったので、それも面白そうだと思って、地元の和歌山大学の受験を決めました。1期生でどうなるかわからなかったですけどね…。
━ 新設されてすぐの学部の様子はどうでしたか?
システム工学部の先生方も、最初は戸惑っていたように思います。本当は自然環境に配慮した建物を作るような建築士を育てることが、最終目標だったようです。しかし環境系と建築を両立させた先生はおらず、それぞれを学べる機会があるので、その中でそういう人になれよってことでした。当然、ゼミ選択も環境系にいくか建築系にいくか、分かれることになります。当時は建築士の資格取得を目指すところは、確か2つしかありませんでした。バリバリ設計をしたい学生だけがそこへ行きましたね。
━ 大学生活はどうでしたか?
入学するときは、阪神淡路大震災の復興事業などで、建築・土木関係の需要はかなりあると予想していました。しかし、実際は私が大学で過ごしているうちに、あっという間に建築系の需要が減ってしまいました。そんなこともあったので、ゼミ選択も含め、建築系には進みませんでした。設計とは関係ないゼミに入って、だらだら過ごしましたね。入学時に望んでいた進路に行けなくなってしまったので、どうしようかなと思っていました。漠然と大学生活を送ったというのが事実ですね。
また、自治会委員として自治会室にずっといて、だらだら先輩たちと遊んだりしていましたね。新歓時期は、後輩におごってお金がないとか言いながら、軽いノリで過ごしました。実家から通っていたのでとにかくのんびりした大学生活でしたね。勉強以外で苦になったことはないですよ。
━ 就職活動はどうでしたか?
就職氷河期だったので、非常に辛かったです。
「就職先は案内できない」と言われましたね。当時は、本当にひどい就職状況で、教授陣の人脈も通用しません。和歌山大学の学生の半数が、非正規雇用だったのではないか、と思います。今だったら、考えられないでしょう。
実は、大学院にも行きました。なぜかというと、就職の状態が悪かったので、2年間待ってみようかなと思ったからです。その2年間で余計に状況は悪くなってしまいました。地元和歌山の就職説明会に行ったら、「大学院へ進んだ人はいらない」って言われましたね。大学院を卒業した人には、その分高い給料を払わないといけない、だから採らないということです。説明会の最初にそう言われたので、最初の10分で帰ったこともありました。
━ 学生時代に力を入れて取り組んだことを教えてください。
大学入学と同時にパソコンを手に入れたので、この頃から本格的に小説を書き始めました。
実は漫画家になりたかったのですが、画力が足りないのは自覚していました。それを大学で底上げというか、切磋琢磨したいなと思っていました。しかし、大学には当時、漫画研究会がありませんでした。
そこで文芸系のクラブに入り、後に何人かと一緒に、より活動的な文芸サークル『文芸会』を創りました。大学生協のフリースペースを毎週占拠して、批評会などをしていましたね。サークルの立ち上げは、特別大変ではありませんでしたよ。
今はもうそのサークルは、もとのクラブに吸収合併される形でなくなりました。でも立ち上げから10年ほど存続し、そこで出会った先輩、後輩、同期とはまだ交流があります。
━ 学生時代の経験で、今の職業に生かすことができていることはありますか?
学生自治会や大学祭実行委員会に所属し、多くの先輩後輩と接してきたことが良かったと思います。コミュニケーション能力はここで鍛えられました。作家も営業まわりや編集者との打ち合わせをする必要があります。だから書くことだけじゃなくて、人付き合いのスキルは要求されますよ。私は高校が進学校だったので、勉強中心で部活が基本的にありませんでした。だから、大学に入るまではあまり上下関係が分かっていませんでしたね。当たり前の話ですが、目上の人に対する接し方や後輩への接し方っていうものがありますよね。この経験があるから、講師として生徒に教えることもできています。昔の自分と同じく、今の若い子達は至らないところが多いです。だからと言って、その子が悪いわけではない。こういうことを踏まえて、接してあげないといけないと学びました。
━ 漫画家になりたかったとおっしゃっていましたが、漫画家ではなく小説に振り切ったのはなぜですか?
学生時代、『漫画でわかる学生自治会』という12ページの漫画を描きました。ネーム、下書き、ペン入れと、同じ絵を3回書かないといけません。それが辛くて、“これは自分に向かない、絶対無理だ”って思いました。本当に嫌でしたね。それがきっかけで二度と漫画は描きませんでした。その時に、“絵を描くことが好きなんじゃなくて、話を考えることが好きなんだな”って思いました。それなら小説でもいいなって気付きましたね。
━ 作家の道に進もうと決断した経緯は?
就職活動をしている時期に、私の中編小説がとある賞で二次選考を突破しました。これをエントリーシートに書くとやはり興味を持たれますよね。そこで印刷した原稿を懐に忍ばせて就職面接に行き、「どんな話を書いてるの」と訊かれた瞬間に、「こんなこともあろうかと」とその場で面接官の前に出すんです。すると、だいたい面接は通りました。(笑)
でも、あるとき「君はここまで書けるのに、なぜプロの作家にならないの」と訊かれ、答えることができませんでした。本当の理由は、食べていけないと思っていたからです。本気じゃないからだろうな、ともそのとき気付きました。でも、実際に二次選考を突破しているということは、作家になるための最低限の実力はあるということです。あと少しどうにかしたら、デビューできるかもしれないと思っていましたね。さらに、やっとのことで内々定をもらえた企業がブラックな内情を打ち明けてきました。
最終的に自分からその就職先を蹴ってしまいましたが、嫌なことを全力でやるよりは、好きなことで苦労した方がマシだなと思い、親に頭を下げて専門学校に進みました。
プロになれるかどうかもわからなかったので、面と向かって嘲笑する友人もいましたね。
━ 現在はどのようなお仕事内容ですか?
小説やゲーム関係のテキスト仕事をしています。
専門学校で講義をしたり、近年ではネットの生放送に呼ばれたりすることもありますね。
━ 取引先(出版社やゲーム会社、専門学校など)とどのようなやり取りをしていますか。
差し支えのない程度で教えてください。
よほど急ぎの要件でもない限り、普段はメールで事足ります。電話は少ないですね。
ただ、直接会って話すことは大事なので、たまに上京する予定があればいくつかまとめて打ち合わせに出向きます。
━ 作家のお仕事で一番楽しい、わくわくすると感じるのはどのようなときですか?
やはり本という形になってできあがるのは、最高に嬉しいですね!
作者が指定できない、細かなデザインがわかるのも本になってからです。
このとき細部までこだわってくれていると、編集さんに感謝するばかりです。
━ 一番辛い、しんどいと感じるのはどのようなときですか?
読者から「面白い!」と評価された本が、全然売れなくて打ち切りが決まったときですね。また、私には関係のない理由で続きが書けなくなる、というのも辛かったですね。
詳細は語れませんが、この業界色々あります。
━ ひびきさんがお仕事をする中で、一番印象に残っている出来事を教えてください。
「あなたはまだまだ面白い話が書ける人です。だから売れなくても、次の仕事を回します」
そう言ってくれた編集さんとは、今もまだお付き合いを続けています。
━ 作家のお仕事は比較的子育てなどのプライベートと両立しやすいお仕事ですか?
まったく逆ですね。
確かに、何でも自由な時間があるから子育てできるでしょって言われると、反論できないです。ただ、子育てのため、まったく作業できない日も多いです。去年、私の本が1冊も出なかったのですが、それは子育てや家事で執筆時間が確保できなかったからです。子どもが保育園に行くようになってから、よく病気をするようになりました。妻は外で働いているので、私が1週間の平日5日間ずっと子どもの面倒見ているときもありました。最近、子どもが風邪をひかなくなってきたので、ちょっと時間の余裕はできましたが、それでも書く時間は夜中ですよ。夜11時くらいから翌朝3時過ぎまで書いて、朝7時前に起きます。3~4時間睡眠が週5日くらいで、土日だけちょっと長く寝ていますね。急な仕事が来たりすると、今は引き受けられないこともあります。本当は仕事が欲しいですが、子育てとのサイクルも考える必要があります。
━ 現在の作家の情勢は厳しいですか?
作家の世界は厳しいです。最近は、売れている人しかいらない、売れていても一回売れなくなったらいらない、「次に売れている作家がいるのでもういいです」と言う編集さんも多いです。専業で作家をしている人の扱いがひどいですね。この業界はもう駄目なんじゃないかと思うくらいです。昔は腰据えて、じっくりいいものを作りましょうという話もありましたが、今はないですね。世の中が変わってきていて、WEBがあるからそこで売れている作品を持ってくれば、ほとんどが売れてくれます。加えて、新しい作家がどんどん出てくるので、今は兼業作家ばかりですよ。
━ 一冊の本ができるまでの流れを教えてください。
①作家が原稿を書きます。
②原稿をデータで編集担当者に送る。この段階で担当者から修正の指示が来ます。一回上げた原稿に関しては一、二度全体の修正作業をしますね。これである程度直しが完成すると次の段階です。
③ゲラが出来上がってきます。ゲラとは、本になる縦書き形式で組み直されたものです。ルビ(ふりがな)の処理も全部してもらいます。そこに校正担当者が、字の間違いとか、日本語の使い方とか細かいところを赤字修正してくれます。昔は印刷したものが郵送されてきましたが、今はPDFデータで送られてきますね。
④それに対して作家が、どういう風に直すのかというのを注釈で全部打ちこんで、返します。
⑤もう一回修正ゲラが上がってきます。これが第二稿です。実は、ゲラの段階になるとそこからの直しは二回ほどです。基本的に外注である校正担当者が入って赤字入れると、作業に応じてコストがかかります。だから、ゲラは最低限のやり取りで終わらせるのが普通です。
⑥第二稿を最終的にもう一回直します。その時に、ページの量や微妙なずれも全部直して、あとがきも仕上げれば、入校されて印刷。完成です。
あとライトノベルに関してはイラストのチェックなどがありますが、イラストの発注自体は作家の仕事ではありません。レイアウトやデザインは編集者とイラストレーターさんにだいたいお任せです。イラストレーターさんを作家側が決めることも、基本的にはありません。
━ 電子書籍については?
今、電子書籍だけ出しますっていうところもあります。これが、また作家を苦しめる原因になります。出版すると、刷った分だけ印税が入ります。売れた冊数ではなく、刷った冊数で計算されるんです。でも、電子書籍は出しても売れた分しか入らないので、一本書いても最低何円入るのか目処が付きません。現在は、電子書籍もかなり売れていますよ。でも、作家としては、紙の本が売れないと話になりません。重版がかからないと、続きが出していけないシステムになっているんです。電子書籍だけでも作り手が食べていけるような仕組みになれば、こちらも安心して書くことができるのですが。
━ 作品が売れるには最初が肝心なのですか?
発売後1週間ですね。下手したら3日って言われていますよ。発売して3日で動きがないのなら、もう駄目です。要は、読者の期待感をつかめていないですね。出版社も、昔は半年、1年待ってくれました。でも、待っても長くて1ヶ月ですね。あとから再販もありません。今は電子書籍があるので、あとは欲しい人は電子書籍で買ってくださいということです。
━ 読者の方と直接やり取りする機会はありますか?
SNSでダイレクトにありますよ。打ち切りになった作品の続きは出ませんか?と訊かれて、申し訳ありませんって返事をするときもあります。基本的に自著に関してのネガティブなことを作家は言いませんが、直接質問されるとどうしても答えざるを得ないですよね。韓国の読者からわざわざメッセージが来たこともありますよ。
━ 物語のインスピレーションはどこから得ていますか?
やはり大量に読むこと、見ておくことですね。講義中の生徒たちへのとっさのアドバイスもそうですが、その場その場でアイディアを思いつくのは、やはり多くの引き出しを持っているからです。このパターンだったらこうだな、あのパターンだったらこうだなって思いつきます。しかし、100吸収しても1くらいしか出せないものなので、生徒相手に創作の話をしようと思ったら、万でも足りないくらいですよ。要は、とにかく色々見ておかないといけません。今、流行っているアニメも映画もチェックしていますよ。そして、もちろん読書量が大事です。今は、月額いくらで読むことができるサービスもあるので助かりますよね。
━ 作品内の設定はどのようにおこないますか?
今回書いた作品の主人公「魔王 アハト」だと、ドイツ軍の「88mm(アハトアハト)」対空砲から名前をとりました。今回は「異世界の魔王が現代兵器の銃を使う」作品だったので、ミリタリー要素からとりたいと思ってこの名前にしました。作品中に出てくる先代魔王「セプテム」は7の意味です。実は、これは辞書を見て決めました。ラテン語やドイツ語、フランス語などの色々な翻訳がひとまとめになっている便利な辞書を愛用しています。適当に名前を付けてもいいのですが、それもしんどいです。困ったときはそういった辞書を引いて決めますね。ぱっと突然に思いつくのではなくて、色々調べながらやっています。作品に出てくる銃のことも、モデルガンなどをすべて購入しました。10万円超えです。でも、私が銃初心者だったので仕方ありません。モノを知らないと作品は書けませんから。こういうのはもう必要経費ですよね。
━ もし、作家以外の仕事をするとしたら?
二度と景気を悪化させないように、どうにかして政治家になるコネを作ります。(笑)
━ 学生のうちにやっておくべきだと感じることは何かありますか?
思い切りバカをやるか、ひたすら勉学に励むか。
どちらでもよいのですが、全力で何かに打ち込むべきだと思います。
私は専門学校に入ってから本気出したタイプです。
━ ひびきさんご自身が大事にしている心構えや座右の銘は何ですか?
専門学校の講師もしているので、プロとして恥ずかしくない姿でいようと思っています。
座右の銘は「売れないことは恥ではない、書き続けないことが恥なのだ」です。
これは故人となった恩師の教えです。
取材の感想
今回、ひびき遊さんと大阪アミューズメントメディア専門学校の方々に全面協力して頂き、作家というお仕事について多くのことを知ることができました。
今回のインタビューでは、大阪アミューズメントメディア専門学校ノベルス文芸学科が1年生向けに開講している講義を2コマ体験させて頂きました。
約40名の生徒の方々と一緒に受講した講義は、「本のタイトルを考える」というものでした。
最初はタイトルを付ける作業くらい余裕だと感じていましたが、結果は撃沈でした。
タイトル付けがあれほどまでに大変な作業だとは思いませんでした。流行や言葉のインパクトなど考えることは山ほどあります。日頃、作家や編集者の方々がどれほど大変な活動をしているのか、少しだけ感じることができたように思います。
また、生徒の方々の生み出す素敵なタイトルを見て、作家としてのセンスと日頃の努力を感じました。
「こんなすごい人達とぜひ一緒に本が作りたい」と感じ、出版業界へ進むモチベーションアップに繋がる経験をさせて頂きました。
また、ひびきさんの単独インタビューでは、普段は聞けないような作家の裏側を聞くことができました。特に印象的だったことは、作家が常に努力し続けているということです。漠然と、作家は才能があり、すらすらと物語を生み出しているイメージでした。しかし、辞書で調べたり、流行の作品を読んで分析したりと様々な努力をされていることを知りました。ひびきさんご自身が、多くの本を読み、様々なジャンルに触れて自分の引き出しを増やしていらっしゃいます。作家は才能だけではなく、日々の努力の積み重ねなのだと気付かされました。
今回のインタビューに行くまでは、出版業界を目指すのか迷いがありました。今は、このインタビューをきっかけに、出版に関わるお仕事を目指す決心がつきました。私にとってこのインタビューは、何にもかえがたい貴重な経験です。これから、自分自身の引き出しを増やしていけるように、様々なものを見たり読んだりしていきます。自分の夢に向かって、私も作家の方に負けないくらい努力を積み重ねたいと思います。
ひびきさん、大阪アミューズメントメディア専門学校のみなさん、お忙しい中お時間を頂き、本当にありがとうございました。皆さんのご活躍を楽しみにしています。