━ 和歌山大学に入学されたきっかけを教えてください。
実は僕、大学に入学したのが25歳なんです。というのも、小さい頃から集団になじめなくて、中学2年生から22歳まで不登校だったんですよ。でも、このままじゃ社会に出て仕事が出来ないと思って、22歳のときに高校に入学したんですね。そして高校卒業が近づいてきて、この先どうしようと悩んでいた時に、先生に大学進学を勧められました。僕は小学生の頃からパソコンでプログラムを作ることが好きだったんです。大学ではもっと詳しくパソコンを学べるし、商業科の教員免許を取ったら雇ってあげるよと言われたので、和歌山大学に入学することを決めましたね。
━ 不登校になられた原因と、再び学校に通おうと思ったきっかけがあれば教えてください。
僕はずっと学校という集団に所属していることに違和感を感じていて、教室にいることが居心地が悪かったんです。だから、自分は集団になじめない人間なんだと思って、だんだん学校に通いづらくなってしまいました。でも、自分が集団になじめないという考えが変わる出来事があったんですね。僕の通信簿にはよく「協調性がない」と書かれていました。通信簿に書かれている協調性というのはみんなと同じことができるという意味で、十把一絡げに扱われることが苦手だった僕は、あえてみんなとは違うことをしていたんです。だから通信簿に「協調性がない」と書かれていたんだと思います。本来の協調性の意味は集団の中で自分の役割を責任をもって担うことです。あるとき、博覧会で気功を体験し感動した祖父が、講師を和歌山に呼んで講演会を開催しました。そして、気功のグループができ、定期的な活動の一環として祖父の別荘敷地を利用して合宿をすることになったんです。そこには、囲炉裏のあるログハウスやご飯が炊けるかまどがありました。火遊びが好きな僕は、囲炉裏での調理やかまどでご飯を炊くことができたので、合宿の手伝いをしてほしいと祖父に頼まれ合宿に参加したんですね。僕は気功のグループに所属するというスタンスではなく、宿泊施設の使用人的なポジションで参加したつもりでした。しかし、気功をするときにしれっと輪に入れられていたり、僕が弾いているギターを気功のBGMにしたりと自然と活動に巻き込まれていったんです。合宿に参加している人たちは実に多種多様で、主催者とか参加者とか明確な区切りもなく、自分にできることを自分の役割として、それぞれが担っていました。このときに、自分の考える「協調性ってこういうことや!」を体験したんです。そしてその体験を通じて、集団の中にいること、その集団の中にいることに違和感を感じていない自分がいることを発見し、それまで持つことができなかった「所属感」のような感覚を得ましたね。この「所属感」を得ることによって、僕自身が自分に課した集団が苦手という呪縛から解放されることになったんです。このときに初めて、僕は集団になじめないんじゃなくて、学校という集団になじめなかっただけだということに気づきました。僕にも所属できる場所があると気づいたことがきっかけで、再び学校に通うようになりました。
━ 25歳で大学に入学されたとのことですが、周りとのギャップは感じませんでしたか。
僕自身はあまり感じなかったですね。不登校のあいだって家にひきこもっているので、精神的にあまり成長しないんですよ。だから、精神的には周りのみんなとあまり差はなかったと思います。周りがどう思っていたかは分かりませんけれど(笑)。
━ 学生時代に力を入れていたことはありますか。
部活ですね。プラットホームという不登校児支援の部活に所属していたんです。様々な経験をさせてもらって僕自身とても成長できました。
━ プラットホームに入部しようと思ったのはなぜですか。
僕が高校生のとき、同級生がプラットホームにお世話になっているという話を聞いて、和歌山大学に不登校児支援の部活があるということを何となく知っていました。大学に入学してやりたいことを考えたときに、そういえば不登校児支援の部活があったということを思い出し、新入生歓迎会に足を運んでみたんです。そのときに、僕も不登校の経験があったので、同じような境遇をもつ子どもたちに何かしてあげられるんじゃないかなぁと感じて、プラットホームに入部することを決めました。
━ 具体的には、どのような活動をされていたのですか。
プラットホームでは2か月に1回、学生が企画し行事を行います。内容は月によってバラバラなんですけれど、海に行ったり、工作をしたり、子どもたちが楽しんでくれそうなことを部員みんなで話し合って一から企画するんです。また、不登校のお子さんをもつ保護者の方々の前で、僕が不登校だった体験をお話しさせてもらう機会も多々ありました。
━ 不登校だった体験をお話しされていたとのことですが、それに対して抵抗はなかったのですか。
なかったですね。不登校のお子さんを持つ保護者の方々は、本当に真剣に僕の話に耳を傾けてくれました。僕の体験談を聞いて喜んでくれる保護者の方々の姿を見て、こんな体験談が役に立つんだと驚きましたね。また、自分の人生を振り返る良い機会にもなったし、大勢の人の前で話す機会なんてめったにないので貴重な経験でした。
━ ゼミ活動では、どのような勉強をされていたのですか。
大学に入学した理由でも話したけれど、小さい頃からパソコンでプログラムを作ることが好きだったので、八丁先生という情報の研究をされている先生のゼミに入りました。僕がゼミに入っていたころに、ちょうど学校にインターネットを反映させようという動きがあったんですね。だから、卒論は「インターネットの教育利用について」というテーマで書きました。
━ 就職についてはどう考えていましたか。
僕が不登校だったことや、部活で不登校児支援をしていたこともあり、不登校の子どもに関わる仕事をしたいと考えていました。大学入学前に、高校の先生と商業科の教員免許を取ったら雇ってあげると約束していたので、教員免許を取りましたね。僕の通っていた高校は、不登校の子どもも通っている学校だったので、一応希望通りの職業につけたと思います。
━ はじめは高校の先生として働いていたとのことですが、転職されたのはなぜですか。
自分が通っていた高校ということもあり、同僚はみんな僕のことを昔から知っている人ばかりで働きやすく、授業をしたり、生徒と関わることはとても楽しかったです。あるとき、不登校の生徒の担当を任されました。先生の立場としては、生徒を学校に引っ張り出さなければいけませんでしたが、僕自身不登校だった経験もあり生徒が学校に行きたくない気持ちもよく分かっていたので、先生として生徒と接することに違和感を感じていたんです。そんなときに、エルシティオというひきこもりの人々を支援する作業所を立ち上げるから一緒にやらないかというお誘いを受けて、転職することを決めました。
━ 共同作業所エルシティオでは、どのようなお仕事をされていたのですか。
「共同作業所エルシティオ」は、ひきこもりの状態にある青年の居場所となり、社会との接点を少しでも作ること目的として活動しています。特徴の1つとして、コーヒーの焙煎と販売などの作業を行っています。「働きたいけど、今すぐ働くのは不安」という気持ちを大切にしながら、作業を通して少しずつ不安を和らげていけたらいいなという思いで、この活動を続けています。
━ お仕事の転機があれば教えてください。
エルシティオはひきこもりの状態にある青年の居場所となることを主な目的として活動しています。活動していく中で、居場所にいる青年たちは居場所では元気になり、居場所での自治や人間関係には積極性が見えてくるんです。しかし、それがそのまま、就労への積極性につながるわけではないんだなぁというような課題も見えてきました。そこで、NPO法人エルシティオが障害者就労継続支援事業である「事務支援センター ソラーナ」を立ち上げることになったんです。ソラーナはひきこもりの青年や障がいを持つ方々に対して就労への敷居を下げるようなことを目的に立ち上げたものです。ソラーナを経由して一般就労を目指す人もいれば、ソラーナを終の棲家とする人も居ますね。いずれにせよ、「働く」ことをテーマにした事業として立ち上げました。ソラーナは主に精神障がい者を中心に構成されているのですが、僕は今、支援員として仕事のお手伝いをしています。
━ ソラーナでのお仕事は具体的にどのようなものですか。
ソラーナは、映像編集や、チラシ・名刺の作成などのパソコンを使った仕事を主に行っています。僕は、支援員として支援計画を立てることはもちろんですが、メンバーが作った資料の最終チェックをしたり、悩んでいるところを一緒に考えたりと仕事のお手伝いをしています。
━ 経済産業省が提唱している社会人基礎力の中で、あえて支援者として重要な力を選ばれるとしたら何ですか。
知識はもちろんですが、状況把握力と傾聴力ですかね。特にひきこもりの相談を受けていると、ご家族からの相談が多いんですね。何が大変かというと、家族ってその人が説明してくれない各家庭のルールがあるんです。それを向こうは当たり前の事として話してくるから、分からないことだらけで困ってしまいます。だから、分からないことが前提としてあることを理解したうえで、色々聞いたり見たりする。そうすることで、やっと少しだけ相手のことが分かるんじゃないですかね。今話したことは、人を相手にする仕事ならすべて当てはまると思います。
━ おすすめの書籍があれば教えてください。
僕、不登校だったときに、ずっと本を読んでたんですよ。1日1冊くらいのペースかな。その中でもおすすめの本は、「赤毛のアン」ですね。実は「赤毛のアン」って、シリーズで10冊くらいあるんです。 みんながよく知っている赤毛で周りから笑われるという話から 結婚してアンの子供たちが主役の話にかわっていきます。 アンという1人の人生の中に、平和への思いや親子の愛情が描かれていて、そういう日常の中に何か真実があるんじゃないかと思わせてくれるところがおすすめする理由です。それと、昔ながらの名作で、母が小さいころ読んでいた本をそのまま受け継いで読んでいたので、世代を超えて共有できるというところもいいですね。
━ 最後に和歌山大学の学生にエールやアドバイスがありましたらお願いします。
学生時代は短い!これは、常に意識しておいてほしいです。今思えば、もうちょっと出来たんじゃないかなぁと思うことも沢山あります。これくらいでいいかと途中で諦めずに、いろんなことにチャレンジしていってください。 それと、今の学生はもうちょっと大人を頼ってもいいんじゃないかなと思います。全然関係のない人でも、和大生の後輩なら力になってくれると思いますよ。就活のことでも部活動のことでも何でもいいから話をしてみてください。そうすれば、何か違った視点や考えが見えてくるかもしれません。
━ 本日はお忙しいなかお時間をいただきありがとうございました。
取材の感想
私は将来、障がいを持った方々の支援に関する仕事に就きたいと考えているので、今回は本当に貴重なお話を聞かせていただきました。事務支援センター ソラーナでインタビューをさせていただいたのですが、社員の皆さんが障がいを1人1人の個性として認め合っていて、アットホームな雰囲気の会社であることがとても印象に残っています。インタビューの中で先生として不登校の子どもたちと接することに違和感を感じたとお話しされていましたが、私も障がいを持った方々とどのように関わっていきたいのか、明確なビジョンを考えていかなければいけないなぁと感じました。また、私も永井さんと同じようにプラットホームで不登校児の支援者として活動しているので、常に周りを見渡して、相手を理解しようという姿勢を忘れずに活動していこうと思います。
貴重なお話をありがとうございました。