井上哲也 先輩
吹田市
吹田市 市長
【経歴】
1983年 26歳の最年少で吹田市議会議員当選(4期)
1996年 第51代吹田市議会議長に最年少で選任
1998年 大阪府知事より自治功労表彰受賞
2003年 大阪府議会議員当選 (2期)
2010年 関西広域連合議会議員
大阪維新の会総務会長
2011年 第19代吹田市長当選
2012年 全国市長会評議員
家族 妻、3人の娘の5人家族
趣味 読書、ウオーキング
和歌山大学 経済学部
経済学科
28期卒業
企業サイトURL:http://www.city.suita.osaka.jp
取材者
前田美穂
経済学部市場環境学科 2回生
――和歌山大学経済学部に入学されたきっかけを教えていただけますか。
和歌山大学にしか通らなかったという理由ではダメですか(笑)国立大学なのに英数国の3教科で試験を受けられた、というのは魅力的でしたけどね。でも入学してからよかったと思う点は2つあります。1つ目は人数が少なくてアットホームなところです。ゼミだけでなくクラスの人達とも仲良くなりました。学園祭で模擬店を出したりもしましたね。今でも学生時代に仲良くなった友達とは交流がありますよ。最近は忙しくなって行けていませんが、カニが解禁になったら香住に5人で鍋を食べに行っていました。よく焼き鳥とか飲みにも行っていて、今でも親しいですね。2つ目は先生方がすごくて、尊敬できる方がたくさんいらっしゃいました。私は開発途上国の経済開発が専門の小段先生のゼミに入っていたんですけれど、卒論を出せば卒業できるかわりに就職の世話は全くしてくれませんでした。もう30年も前のことだから一生懸命に取り組んでいたかどうかは忘れてしまいましたが(笑)、アットホームな先生で、ずっと覚えてくれていましたね。
――学生時代に取り組まれたことは何でしょうか。
通学が長かったことが印象に残っています。当時は東大阪に住んでいて、近鉄から南海に乗り換えて大学に行っていましたから、毎日長い時間電車に乗っていました。そんなに時間をかけて行っても着いたら麻雀をしていたんですけどね。でもそれが親に申し訳なくなって、途中で麻雀をやめてからは簿記学校に通い始めて、就職に役立つと思い簿記2級も取りました。結局最初から政治の世界にいるので実際に役立ったかどうかはわかりませんが、たくさん知っているほうがいいですよね。行政は今までは支出に合わせて収入を組んでいたんですけど、企業会計は逆に収入に合わせて支出を組みます。いつまでも収入が増える時代は終わったから、行政のこの考えは変えないといけません。その点では役に立ったと思います。
――学生時代に考えていた就職観について教えていただけますか。
本当は何でもいいから商売をしたかったんです。でも4回生の時に父のいとこが衆議院選挙に出馬したので、それを手伝いに行ったことが結果的には政治家になったきっかけになりますね。就職どうするかという話をしているときに、企業に勤める人生もあるけど政治家のように自立していく人生もあって、どちらが自分にとって合っているかと考えた末、政治家の道を選びました。親も面白いと言ってくれましたし。今は親が本人の意向と違うことを言うみたいですけど、それで子供が辞めてしまったらしょうがないですよね。自分で判断したら頑張るしかないですから。
――政治家になられてから心に残っている出会いはありますか。
出会いというのは毎日のことで、今日もそうでしょ?この仕事はそこがいいところですね。名刺一枚で会社の社長でも会ってくれますし。でも特に人との出会いで転機というのは、やはり橋下徹氏ですね。彼が大阪府知事になった時、大阪府は1100億円の赤字を抱えていたんですが、収入に合わせて支出を組むという大改革をしたので、やはり彼はすごいと思いますね。危険な発言も多いけど、我が身を捨ててやっています。彼と出会って考え方が変わって、覚悟があれば何でもできると思うようになりました。所属政党を大阪維新の会に移したのは、もともと大阪府議会に「自由民主党・維新の会」という会派があったんですが、それを作った6人のうちに私や松井一郎氏がいます。この6人は大阪をどうするかというので集まり、そこから大阪都構想が出てきました。その後に橋下氏と大阪維新の会をつくって、所属政党もそこに移りました。
――井上市長は吹田市議会議員になられ、最年少で議長にも選任されました。その後大阪府議会議員になられますが、再び吹田市に戻って市長になろうと考えられた理由やきっかけを教えていただけますか。
府議会議員のときは大阪をどうするかという議論を重ねていましたが、その中で吹田市のいろんなあり方を変えなければならないという思いを持ちました。これは何故かというと、吹田市は財政がよかったので、足しにならない事業をたくさんしていて、結果的にこれまでの貯金を取り崩したり赤字のための借金をするようになりました。この借金をすると、絶対今の事業を次の世代の税金で先食いすることになります。今国もやっているけれど吹田市もそんな状況で、それをやめさせようと思いました。現在は去年から借金を止めて、25年度には貯金の取り崩しもやめることを目標にしています。また、その時吹田市は組合員や職員が優遇されていました。職員の給料がラスパイレス指数というので、国家公務員の給料を100としたら吹田市は大阪府下で一番高い101.6でした。そういうことがあって、吹田市の財政を立て直さないと将来大変だという思いを持ち、立候補しました。現在は先ほどから言っているように収入に合わせて支出を組むという改革をして、まず自分の給料を3割カット、退職金も半額にしました。それから公務員の給料を府下で1番だったのを昨年12月で23位まで落としました。それと「わたり」という制度も廃止しました。これは、本来民間であれば責任に合わせて給料が決まるんですが、長年勤続すれば平職員でも課長代理や課長と同じ給料をもらうことができるという制度のことです。まず私が身を切って、職員も身を切って、定数が多いという話もあるから3年間採用も停止しています。それで市民の皆さんには我慢してもらっています。市長というのはどうしても高い目線で見ようとしてしまいがちですが、市民の目線で見ることこそが大切なことです。私のキャッチフレーズは「こどもの眼差しで政治に挑戦」としていて、これはこどもだけを焦点としているのではなく、もちろん女性の立場や高齢者の立場もありますが、いろんな視点はそこから始まると思い、このキャッチフレーズにしているんです。
――公務員にふさわしい人物像とはどのようにお考えですか。
まず、市役所は市民サービスを充実させるのが目的です。その目的があるにも関わらず、現在公務員は優遇されていて特権的に動いています。吹田市はその考えを変えようとしていて、実は今年24年度から人事評価制度を取り入れました。また、課長級に昇級するときは試験の実施も考えています。若い人に聞くと、やる気のない上司は嫌だと言って、導入に賛成の人が多いんです。それで公務員に何がふさわしいかというのは、やはり市民にサービスする視点が一つと、もう一つは今までの姿勢はやめることですね。民間は120パーセント頑張らないと認めてもらえませんが、公務員は80パーセントで頑張ったと思うみたいで、すごい勘違いをしています。公務員は身分ではなく仕事だという意識を持ってほしいですね。かなり意識改革はしましたが、市民の目線を持ってフルに仕事していかないと、今の時代、民間では通用しません。吹田市としてほしい人材は、大阪府と大阪市はすでに実施していますが、本当は面接を重視したいんです。大学まで行っていたらある程度の知識は持っているはずですからね。
――それに加えて、経済産業省が提唱している社会人基礎力の中で重要な力をあえて選ばれるとしたらどれだと思いますか。
断然「前に踏み出す力」ですね。バランスも必要だし、チームワークも捨てがたいけれど、やはりこれが一番必要だと思います。それに若いうちはあんまり考え抜くのもよくないですね。年を取ったら考えてばかりで動かなくなりますし、考えて何もしない人よりは前に踏み出す人のほうがいいです。私自身も、市長として人の上に立つには自分から動かないとダメですね。やはりアクションのある人に公務員になってほしいです。
――学生に薦める書籍があれば教えてください。
昔から歴史小説が好きで、好きな本は何度も読みますよ。司馬遼太郎も好きですが、最近は宮城谷昌光さんの本が好きですね。なかでも『重耳』という本が心に残っています。この本は、春秋戦国時代に、重耳という人が後継ぎ争いのために放浪することになって、最終的には60歳くらいで帰国して晋の王様になる話です。その重耳の陪臣が主人公の『介子推』という本も面白いんですが、これはちょっとマニアックですね。『重耳』は、人間は最初から栄達や出世するということはありえなくて、やはり辛いことをすればするほど最後は成功が大きい、そういう意味の本ですね。「千里の道も一歩から」という言葉があるように、失敗を恐れて小さく踏み出すのではなく、大きく踏み出して初めて自分の道が大成功につながりますから。司馬遼太郎で言えば、政治家はやはり『坂の上の雲』を読まないといけませんね。心に残ったセリフというのもやはり東郷平八郎の「勝って兜の緒を締めよ」。これは日本海海戦などで勝って、最後に海軍の解散をするときの挨拶で言いました。勝った時にそれを模範とするのではなくて、平時から勝つための努力をしておかないといけない、という意味です。司馬遼太郎の本と出会ったのは大学時代でしたが、その頃よりは今のほうがよく本を読んでいますね。やはり学生時代にもっと読んでおけばよかったと思います。
――大学生へエールを含めてアドバイスをお願いします。
先ほども言いましたが、失敗が大きければ大きいほど大成功するので、自分で頑張って乗り越えるしかないですね。私自身でいえば、人生の大失敗は市長選に落選したことです。26歳から市議会議員を4期して、議長になって、有頂天になっていたのかもしれません。自分では人を大事にしていると思っていたけど、実はそうじゃなかったんですね。けれど、落選した時にどれだけの人が私を助けてくれたか、というのがよくわかりました。もしあのまま当選していたら、もっと生意気な人間になっていると思います。今市長になっているから言えることですが、そういう意味ではよかったですね。だから、小さい失敗で悔やむことはたくさんあるかもしれないですが、大きな失敗に直面した時は、頑張って乗り越えれば大きな成功が待っています。大きな成功をするためには大きな失敗をしておかないといけなくて、失敗を自ら乗り越えた人が大成功する、ということを伝えておいてください。
――本日はお忙しい中、お時間いただきありがとうございました。
〈取材の感想〉
もともと政治には興味があったのですが、実際に政治の中心におられる市長に政策などのお話を聴くことができて、さらに関心を持てるようになりました。吹田市や大阪都構想に関するお話をたくさんしていただくなかで、根底にあるのはやはり「市民のための行政」だということを強く感じました。また、「大きな失敗が大きな成功につながる」という言葉が印象的で、私自身いわゆる無難な道しか選んできませんでしたが、大学生活だけでなく社会人になってからも、失敗を恐れずにさまざまなことに挑戦し、一生懸命に取り組んでいこうと思います。
インタビューするにあたって、とても緊張してしまい言葉に詰まることも多かったのですが、そんな私に微笑みかけてくださったりと、市長はすごく気さくな方だという印象を受けました。貴重なお話ありがとうございました。
取材日:2012年9月27日(木)
時間:10:15〜11:15
場所:吹田市役所 本庁舎