谷水直人先輩
株式会社みなと銀行
龍野支店 支店長
1981年兵庫相互銀行入行、営業を経て現職。
経済学部 経済学科29期卒業
和歌山大学 経済学部
経済学科
29期期卒業
企業サイトURL:http://www.minatobk.co.jp/
取材者
中本 達也
経済学部 経済学科 4年生
本日はお忙しい中、貴重な時間を割いていただき、ありがとうございます。いろいろとご質問させていただきたいと思っておりますので、よろしくお願いします。
和歌山大学経済学部に入学されたきっかけを教えてください。
私は昭和52年に和歌山大学経済学部へ入学しました。出身は兵庫県の丹波です。当時は大学へ進学する人は少なかった様に思います。大学と言えば家が裕福な人、勉強が好きな人が志願する印象がありました。私の家は農家でした。しかし農業を継ぎたいとは思いませんでしたので、親に無理を言い大学受験をしたいと頼み込んだのです。それで3年生の2月から関西の私立大学を数々受験したのですが、残念ながら物の見事に全て不合格だったのです。当時和歌山大学は国立二期校でして3月に試験があり、願書を出していたので最後の砦だと考え受験しました。しかしそれまでの私立はすべて不合格でしたので、合格発表は見ていないんですよ(笑)。当時は偶然地元の新聞に合格者の名前が発表されていまして、合格発表の翌日に家に来られた人が合格の旨を教えてくれました。しかし和歌山大学がどのような大学なのかというイメージが全く無かったんですよ。ですが、浪人をする事への懸念や、国立大学は授業料が安いという理由があったことから和歌山大学への入学を決意しました。そんな中で入学式の時和歌山へ行き、タクシーの運転手の方に『和歌山大学は名門校だ。先輩は関西で活躍されている優秀な方が多い。』と伺い、入学を決めて良かったと思いました。
学部に関しては教育・経済・経営と3つの学部から選択しなければいけませんでした。当時は就職のことも考えていたので、経済学部か経営学部へ進学したいと考えていました。教育学部も考えていましたが、いろんな職種に就けるという考えから経済学部を選択したのです。明確に就職先について考えていたわけではありませんが、大学で学んだ事を将来に活かしたいと考えていました。
学生時代に取り組まれていた事は何ですか?
当時はフォークソング研究会に所属していました。簡単に説明するとギターを弾いて歌うサークルです。私は中学生の時から独学でギターを弾いておりました。当時フォークソングやロックに興味があったのです。先輩もいい人が多く、また今までしてきたことを活かしサークル活動をしようと考えていたので、フォークソング研究会に所属しました。結局4回生まで続けることができたとても面白いサークルでした。サークルは年に1回定期演奏会がありました。学生でチケットを売り、演奏会をするのです。それが1年間の中で1番のイベントでした。持ち時間は10分から15分。先輩も入れて1組2、3人で構成された8つくらいのグループがあり、2時間程度の演奏会を開くのです。これに関しては人前で初めてギターを弾く事にとても緊張しましたね。あっという間に時間が過ぎた事を覚えています。2、3、4回生ではサークルに取り組んでいました。あまり成果が出たという思い出はないのですけどね。ゼミは、加藤徹先生のゼミに所属し、商法を学んでいました。難しい経済よりも法律関係に興味があったのです。会社法でしたが、これは将来の役に立つと思いました。しかし法律なのでとても理屈っぽく、性格もかなり理屈っぽい人間になりましたね。また当時はお若い先生でしたが、厳しいご指導をしていただき、本当にためになるゼミでした。卒論はかなり書き直しましたね。苦労をしましたが、自分の足りない部分を多く指導していただきました。大学の勉強は商法、サークルはギターに専念していました。また学生ですから遊びもいろいろとしていましたよ。麻雀、パチンコなどもやっていました。かなり凝り性なので、やりだすと人よりはちょっと上手くなりたいと思うのです。深くはいかないのですが、浅く広くいろいろとやりましたね。アルバイトは家庭教師をしていました。小学5年生から高校2年生までの生徒を中心に週5日間はやっていました。また智弁和歌山高校の建設時に一週間ほど現場のお仕事もしました。建設ですのでお給料の良さに魅かれましたね。しかしヒューム管を山の上から谷に落としてしまったことが原因で、その仕事はすぐに辞めました。またバッティングセンターのアルバイト、百貨店の店舗の飾り付けのアルバイト、声がかかればあらゆるところにいきました。いろんなアルバイトをやりましたが、ほどほどに行い、家庭教師も自分の時間に合わせてできる範囲で行っていました。今考えてもとても楽しい大学生活だったように思います。
学生の時に抱かれていた就職観を教えてください。
私は和歌山大学経済学部に所属していたのですが、教職のカリキュラムも履修していたのです。アルバイトで家庭教師をしていたこともあり、4回生の時点では先生になりたいと考え、教員採用試験を受ける事にしたのです。しかし経済学部と教育学部は根本的に違います。教員試験は物の見事に落ちました。基本的には先生になりたいと考えていたので、就職浪人をして教員採用試験再受験も考えました。しかし、親に無理を言い『5年間も大学で遊ばせるのか』と思われるのも気が進みませんでしたので、就職活動に身を向けようと考えました。当時は金融業界と商社業界が人気でしたね。お給料も高く、安定しているということで、私もその2つの業界を希望していたのです。また当時は4回生の10月1日が就職活動解禁日と言われ、企業の採用活動が一斉にスタートするのです。しかし、早い人は8月辺りから、企業を訪問するのではなく先輩を訪ねるという名目で企業に足を運んでいました。そして9月中に第一志望を決め、選考のための準備を整えていたのです。当時は10月1日に訪問した企業で内定を頂けなければ次はないという時代でした。私は10月1日から就職活動を始めるものだと思いこんでいましたので、完全にスタートダッシュに遅れてしまいまして。他の人の話を聞くことで自分の遅さを知り、かなり焦りましたね。とりあえず、10月1日に就職活動開始ということで、シャープに就職活動へ行きました。しかし、2、3次試験は受けましたが、最終試験は受けることなく、不合格となってしまいました。企業も10月1日に採用を完了させているので次の日に他の企業に訪問しても相手にされないのです。私は初日で採用されなかったのでかなり困りましたね。
当時は終身雇用の企業がほとんどでしたので、安定している大手企業を希望していたのです。企業に入社して何がしたいかではなく、どこの企業に入りたいかを考えていました。先輩や同期もそのような人が多かったように思います。また終身雇用のため、当時の学生は入る時点で一生働く事を決めているのです。そのため、会社をやめる人も少なかったですね。就職観と言うか、どこの会社で生涯を送りたいかということを念頭に置き、就職活動をしていました。
その中でなぜ銀行に入社されたのですか?
金融業界も人気でしたので銀行にも何社か訪問しました。しかし2日目以降は大手企業の採用がありません。みなと銀行は当時、兵庫相互銀行という相互銀行でした。神戸に本店があり、規模は相互銀行の中でも大きい方でした。また兵庫相互銀行は上場企業と比べると、選考日時が少しずれていたのです。先ほども言いましたが、上場企業は10月1日です。しかしそれに落ちた人に合わせて、10日以降に説明会がある企業もありました。兵庫相互銀行もその例でした。そして、その説明会のため、神戸へ行き、ようやく内定を頂く事が出来ました。ただ相互銀行とはどんな業界かわかりませんでした。都市銀行とも、地方銀行とも違う。不安も多かったですね。ただ、金融というところに興味がありました。企業と企業を繋ぐためにその間に立つ事や、融資をするという事に魅力を感じていたのです。また私は兵庫県出身でしたので、地元のために貢献ができると考え、最終的に兵庫相互銀行に入社を決めました。
入社してから心に残っている出会い、転機について教えてください。
17、8年前にお会いした当時の支店長です。支店長とは運転手付きの車で取引先を回るのが普通なのです。しかしこの支店長は自転車で取引先を回っていました。運転手には銀行の掃除をさせていましたね。おそらく『支店長さんに来ていただいた』とお客様が気を張るのが嫌だったのだと思います。支店長といえば立派で、一国一城の主という印象がありますが、その支店長は上になればなるほど謙虚にされていました。飲みに連れて行ってもらっても低尺で、オンとオフの切り替えがしっかりできていました。『実るほどに頭を垂れる稲穂かな』という言葉通りの方だったように思います。その方を見て、私もどんな立場であっても謙虚である事を心掛けています。
転機と言いますと90年代に起きた兵庫相互銀行の破綻です。これは本当にショックでした。90年代といえば銀行の再編、合併などが起こり、金融ビックバンと呼ばれた本当に厳しい時代でしたね。その中で自身が勤める金融機関が破綻し、新聞等のメディアで破綻のニュースが報道されました。その時は既に結婚し、子供もいましたので、『明日からどうしよう』と途方にくれました。吸収合併される銀行に残る道、退職して次の人生を歩む道というように様々な道がありました。しかし私はどんな経験をしてきたのか、自分は何ができるのかと言うことを振り返った時、やはり自分は人間関係が好きだと気が付きました。銀行で様々な人と出会い、若い時に取引先の社長、個人のお客様に指導してもらったことなどを思い出すと、やはり銀行という場所で働きたいと思いました。破綻していましたが、合併されるところに留まり、仕事をしようと考えました。その時以来本当に仕事がしたいと思うようになりました。それまでは、与えられた仕事をただこなしているだけでした。銀行はつぶれないという甘いイメージが無くなり、破綻から本当に仕事がしたいと考えるようになったのです。『銀行は絶対つぶれない』と言われた時代が終わった90年代でした・・・。
企業として求める人物像を教えてください。
銀行としては、『自身で物事を考える力』、『常になんでも挑戦する力』です。この二つが大きいと思います。与えられた仕事をただこなすだけではなく、お客様のために、常に考える。やはり銀行の仕事と言うとお客様のために何をすべきかという事をお客様の立場で考え、行っていかなければいけないのです。また今の時代、受身の姿勢では仕事がありません。こちらから働きかけ、お客様のところへ行き、精力的に相談に乗っていく人物や、困難な事でもチャレンジしていく人物が求められています。
また個人的に部下にしてみたい人物像ですが、社会人1年目なら、とにかく元気がある人ですね。数字が達成されていなくても『できていません』と元気にいえるような人です。元気が無く、気持ちが沈んでいると、何もかも悪い方向へ進んでいきます。しかし、元気があれば鍛え甲斐があります。元気がない人に強く言うと、やめてしまうのではないかと心配してしまいますからね。ただ最も重要なのは、常に向上心を持って成長しようとする事なのだと思います。
企業として求める人物像に加え、経済産業省が提唱している社会人基礎力の中で重要な力をあえて選ばれるとしたらどれだと思いますか。
入社して1年目ですとやはり前に踏み出す力です。私も多くの支店を回っている中で感じますが、失敗をする事は当たり前なのです。失敗をするにしても成功するにしても、そのためには行動することが重要なのです。考えているだけだと、そのうちに1カ月が終わってしまいますからね。もちろん課長職になればシンキング、物ごとを考え、組立て、戦略を決めていくことが必要になります。しかし若い内はまずアクションすることが大切なのです。変化球を使わずに、ストレートに相手の懐へ入っていく。失敗し、取引先から罵声を浴びせられても必ず取引先にはかわいがってもらえます。失敗することで人間性を見てくれるのだと思います。同じ支店で働く先輩達に影響を与えるためにも主体的に行動する事なのだと思います。またチームワークということも求められますが、個人が強くないとチームワークなんてないのです。仕事上でかばい合うのではなく、個人が力を出し切って、その中で必然的にチームワークが出てきます。何も『個人プレーに走れ』とは言いませんが、若いうちからチームワークを意識して周りの仕事を手伝うのではなく、余計な事は考えずに自分の仕事をひたすらやる。それが一番いいのです。失敗を恐れてはいけません。先輩たちもみなさん、とんでもない失敗談を持っています。そんな時は必ず上司がフォローしてくれます。叱られはします。しかし必ず何年か後には叱られることの意図がわかります。腐る事もあります。しかし、将来、過去を振り返った時にわかることなのです。まずは何をいわれても元気を出して頑張ることが大切なのだと思います。
学生に薦める書籍があったら教えてください。
スペンサー・ジョンソンの「頂きはどこにある?」という本です。人生とは山と谷があります。そんな中で『いかに谷の時間を短くし、山の状態を持続するか』という本です。みんな小学生になると6年生という山を目指します。しかしそれに登るとゴールではなく、次は中学生という山を登ります。常に山を登って行こうとするのですね。そこには必ず谷があります。しかし谷の時間が長くなれば山に登ることを忘れ、成長しなくなります。私は業績の悪い時に悩みこの本を読みました。その時発想を変える事に気が付きました。あまりガンガンと行き過ぎると、部下が動いてくれない。どうすれば部下が動いてくれるのかを考えた時、自分が動けばいいと考えました。そうすると周りの物事がいい方向にまわりはじめたのです。まず自分の状態を自覚する。その状態を知るためには山に登らないといけない。だからしんどい事もやらなければいけません。最近の若い人は「自分のやりたい仕事はこれじゃない」と言い退職されます。それも人生ですが、とりあえず山をひとつ登ってみてほしいと思います。そして山に登った時に、これは自分が登る山でないと感じれば辞めればいいと思います。しかし、山を登り、谷を見たときに、自分はこれだけ進歩したのだと現状を理解すると、次の山を登ろうとします。だから若くても3年働き、山をひとつ登った時判断してほしいのです。それがこの本に書かれた内容です。
学生に対してのエールを含めアドバイスをお願いします。
学生というのはとても時間があり自由です。それをいかに有効に使うかということが重要です。就職活動も当然重要だと思うのですが、人間性、人間味を成長させてほしいと思います。そのためにも自分自身をしっかり見つめて、自分を理解してほしいのです。自分がわからないと、成長している自分がわからないですからね。ここで3回生の方に言いたいことは、サークルやいろんな活動で人と関わる機会があると思うのですが、そこで自分が感じる繊細な感性を磨いてほしいのです。そして『人間関係とはこういうものなのか』、『こうゆう局面ではこんな事もあるのか』といった経験値を増やしていってほしいと思います。あらゆる局面でいろんな人間関係が出てきますから、その中でどういう行動を自分がとったかを見つめてほしいです。失敗することもあると思います。しかしそれはそれで一つの経験値ですし、失敗した時は後で冷静になって考えれば必ず反省点が見えてきます。とにかく学生には感性、精神面での強さ、人間の広さを学んでほしいと思います。そのためにはいろんなところへ行くことです。旅行もいいですね。私もフォークソング研究会に所属していましたが、それ以外にラグビー部、野球部、剣道部の部員といった多くの人と関わりながら、考え方を吸収し、またぶつけてきました。学生のときにいろんな人とつきあう。自分を見失わないように、しっかり自分の存在意義を理解しながら、これらの事を磨いてほしいと思います。
本日はお忙しい中、お時間を頂きありがとうございました。
取材の感想
就職活動を通じ、銀行のお仕事について学びましたが、この度の訪問で、銀行についてより鮮明にイメージすることができました。中でも、銀行員として、企業様と取引するときの姿勢、銀行員として働くということを具体的に教えていただき、どのような意識で仕事に取り組むべきなのかイメージすることができました。
今後は何事にも主体的に挑戦し、積極的に物事に取り組んでいきたいと思いました。また小さなことからコツコツ、自分の与えられた仕事に精一杯取り組み、謙虚に努力を続ける我慢強い人間になりたいと考えました。繋がりを大切にし、助け合い、切磋琢磨しながら成長していきたいと思います。
取材日:2011年1月6日(木)
時間:15:30〜17:00
場所:みなと銀行 龍野支店
記事編集・取材同行:
中本達也(経済学部4回生)・薄井駿希(経済学部3回生)