岸岡孝治先輩
朝日放送株式会社
編成本部 編成局 テレビ編成部 編成課長
1993年朝日放送株式会社に入社。
制作技術局でカメラマン、制作局でディレクター、プロデューサーを経て2010年11月より現職
和歌山大学 経済学部
産業工学科
41期卒業期卒業
企業サイトURL:http://asahi.co.jp/
取材者
山内美佐子
和歌山大学 経済学部 ビジネスマネジメント学科 3回生
−岸岡先輩は入学は40期生ということですが、和歌山大学経済学部に入学されたきっかけについて教えてください。
正直、志望校は和歌山大学よりもう少し難易度の高い大学に行きたかったのですが、高校現役の際はどこも受からず、浪人をすることになりました。浪人をして当時の共通一次というテストを受けたのですが、ここでも思うように点数が取れず…、しかし二浪する気力は正直ありませんでした。また私学に行くという概念は全く無く、何とか近畿の国公立のどこかにこの点数で行ける大学はないかと、赤本などで探したところ、和歌山大学経済学部の“産業工学科”を見つけました。産業工学科は、現在のシステム工学部の前身となる学科で、電算機器、つまり今でいうコンピュータを使った経済理論を勉強する学科でした。私は高校時代は理系だったので、自分の進みたかった情報工学とも繋がっていて、また自分の点数でなんとか合格できそうだったので、「ここを受けてみよう」と思ったのが動機です。第一志望ではなかったので、入学せざるを得ないという感じで入学しました。行きたくて行った大学ではなかったので、大学に入学してしばらくの間はいろいろなことで悶々としている時期がありましたね(笑)。
−情報工学の方に進みたかったということですが、情報工学について詳しく教えてください。
高校生当時、工学系や理学系などの中で、いわゆるメカニック工学・機械系ではなく、コンピュータを使った情報学という分野に興味がありました。いろいろな情報をデータに置き換えてそれを分析したり、データを基に新しいシステムを作ったりなどの先駆けの時期で、なんとなく楽しそうだと思ったんです。そのため、そういう方向の学部などを本当に探して、探して、探して和歌山大学経済学部の産業工学科を見つけ、入り込んだという感じですね。いまでは、皆さんが当たり前のようにパソコンを使うと思いますが、私たちの学生時代には、個人がパソコンや携帯電話を持っていることはほとんどなく、ポケットベルがあるかないかという状況でした。だからでしょうか、将来的にこの分野が伸びるのではないかなと思っていましたね。私はどちらかと言えば、そういった方向の分野に行きたいなと思っていたので、結果的に和歌山大学経済学部の産業工学科に「ここだ」と思って入学したという感じです。
−先を見据えた上で、和歌山大学を受験したのですか?
そうですね。でも、単純に理系の中では機械という物理的なものを触ったり、土木という物を建設したりということではなく、パソコンなどで新しい情報を扱った方が「かっこいい」だとか、情報工学系の方が「これから仕事が多いのではないか」だとか、漠然とは考えていましたが、明確にそちらに進むと決めていたわけではないですね。そのようなアバウトな高校生・浪人生だったので、結果的に大学に入った後も一生懸命勉強したわけではないですよ(笑)。
−続いて、学生時代に一番取り組まれていたことは何ですか?
当時はアメリカンフットボール部に所属していました。「どこの学部を卒業しましたか?」と聞かれれば、オフィシャル的には経済学部卒なんですが、「アメリカンフットボール学部オフェンス学科しか出ていない」と答えたいと思うぐらい、アメリカンフットボールにすごくのめり込みました。毎晩毎晩ビデオを観て研究をして、昼間はグラウンドに行って練習をして、下宿に戻ったらアルバイトもしていましたが、またビデオを観て、自分でプレーを考えてと、そんなことばかりをしている3年半でしたね。その反面、学業を全く忘れていた時期が2年ほどありまして、それが原因で1回生が終わった段階で留年が確定してしまいました(笑)。一時期大学を辞めようかと考えたぐらい、学業・大学に対する情熱がない時期があったのですが、それを繋いでくれたのがアメリカンフットボールでしたね。
−悶々とした時期がありながら大学を辞めずにいられたのは、アメリカンフットボールがあったからということでしょうか?
そうですね。そこに仲間がいたということはやはり大きいですね。大学に入ってアメリカンフットボールを始めたのですが、何が面白いかと言うと、同じルールの中で戦えば相手より考え、準備したチームが勝つということですね。戦略と戦術を持って挑めば絶対に勝てるんだということを思い込んで練習をして、いろいろ実践していました。ビデオでの勉強や日々の練習でやった様々なことを試合で実践することによって、「こんな風に形になってる」「練習したことが無駄になってない」と実感することができ、人生の中ですごく良い経験になったと思っています。「努力したことは嘘をつかない」というのを勉強ではなくて、私はアメリカンフットボールというスポーツを通じて、身に付けさせてもらったというか、感じさせてもらいました。
そんな感じで1回生と2回生を過ごして、いい加減学校に行かないのも駄目だと、少しずつ考え始めた時期がありました。3回生の時にゼミに聴講生という扱いで入りました。聴講生というのは、正規のゼミ生ではなく、単位にはならないですがゼミに参加させてもらうことができる立場の学生です。卒論だけを担当の教授に見てもらうという形だったので、最初は本当にゼミに行くモチベーションがすごく低かったです。けれど、ゼミの担当教員が、先日ご退官された小島先生だったのですが、先生がすごく面倒を見てくださって、聴講生だった私に対して、ゼミに出なかったら電話を掛けてきて出るように言ってくださりました。小島先生は私の恩人だと思っています。またゼミの仲間もすごく良い仲間で、「将来のこともあるのだから」と、気にかけてくれるような連中でした。そんな中で色々と考えるようになり、ゼミに出席するようになっていきました。
そのかいあってか、ゼミでの研究には真面目に取り組みましたよ。内容はというと、あるスーパーの生鮮食料品売場が天気によってどういう風に売上が変わるのか、という研究です。そのスーパーの本社ビルに行って社長と広報の方にお会いして販売データを頂き、その解析をすることで天気と売り上げとの関連性を調べていったのです。現在ではこういったビジネスがあると思うのですが、それを20年前に大学でやっていたので、何か新しいものをしているようですごく楽しかったですね。研究チームで調べていくうちに、例えば、台風の日に牛乳がよく売れるだとか、学生時代の私にとって訳が分からないデータが出てきたりしましたね。他には、雨が降るとスーパーでは顧客が減ると思っていましたが、調査をしたお店は郊外にあったので、雨が降るという情報で車の顧客が増え、いつも埋まっていない駐車場が満杯になるといったデータが出てきました。そのようなデータから、「日常生活はやはりいろいろな情報で動いているんだ」ということを感じました。自分達でやったからこそ本当に楽しく、良い経験をさせてもらったと思っています。小島先生の「こんな研究をやったらどうか」という指導の下、しかも一人でではなくチームで研究をしていたので、そういう意味では非常にいろんな人に支えられた学生時代を送ったという印象ですね。
きっかけとしては、すごく低いモチベーションで入学したのですが、卒業するときには、クラブにしてもゼミにしても、すごく充実した学生生活を送らせてもらったという思いがすごく強いですね。
−学生時代に考えていた就職観について教えてください。
4回生のときは私は留年していたので、同期が就職活動をしている時期はアメリカンフットボールに打ち込むことができ、就職というものに意識がほとんどありませんでした。しかし、同期の多くが金融関係に決まっていく中で、「果たして自分もこういう所に就職していくのだろうか?」と思い始めました。バブルの終わりでしたが、当時は金融が花形で、和歌山大学経済学部の先輩方の多くが金融関係に進んでいらっしゃったこともあり、やはりパイプが強いと感じていたためそんなことを思ったんだと思います。けれど、私は元から金融への意識は全くなく、かといってどんな仕事をするかなど、考えていたわけではありませんでした。
金融に興味がないことで、将来何をするかと悩んだ時期がありました。やりたいことがなかなか浮かばず、何か資格を取って、自分で何か別のことを受けようかと考えたりもしました。例えば、元々理系だったということもあり、もう一度勉強をしなおして建築などの資格を取るとか、また別の大学で自分のやりたいことを探すとか、それとも手っ取り早くこのまま就職してしまおうかとか、少し悩みました。その中できっかけになったのが妻の就職活動でした。妻は大学の同期生なのですが、マスコミ志望だったので彼女の就職活動にヒントをもらいました。「マスコミの仕事」と考えた時に、人との繋がりがすごくある仕事だと思ったんです。初めは「なんとなくテレビはおもしろい」という気持ちから受けてみようと考えたのですが、後々には人を扱う仕事だと理解しはじめました。人を見たり、人を動かしたりなど、コミュニケーションを取ってやる仕事であることが、惹かれた理由の一つです。そのために高いモチベーションで受けることができたので、「行きたい」「入りたい」という自分の気持ちを面接でしっかり話すことができたと思います。人との話の中で自分をしっかりアピールするために、印象に残る話し方などを考え、面接に臨んでいました。結果的に朝日放送に縁があったのですが、正直ほんとうに受かるとは思ってはいませんでしたね(笑)。
−岸岡先輩は、「朝だ!生です旅サラダ」のプロデューサーをされていらっしゃるそうですが、現在どのような仕事をしていらっしゃるのか具体的に教えてください。
土曜日あさ8時に生放送が始まり、9時半に本番が終わって10時頃から、だいたい1〜2時間ほどで翌週のこと及び先々の決まっているスケジュールについての会議があります。そこで一旦締めて日・月曜日は基本的には休みです。
火曜日は、メインのゲストさんが旅をされる「ゲストの旅」というコーナーの制作をお願いしている制作プロダクションが東京にあるので、毎週東京に出張しています。朝に大阪を出て、昼過ぎからプレビューチェックと言って、担当ディレクターがその週の土曜日に放送するためにロケに行って撮影してきたVTRを仮編集した映像を観て意見を出します。その後、制作スタッフと先々のゲストについてのブッキング情報や、今後どういう方向のゲストで行くのかというような打ち合わせもします。それが終了後に大阪に戻って今度は「海外マンスリー」というコーナーのプレビューチェックをします。それが終わりしだいチーフ・ディレクターともろもろ打ち合わせをしたりしますので、結局帰れるのは電車が動いていない時間になることも多いです。東京へは日帰り出張なので、ある意味1週間で一番ハードな日ですね(笑)。
水曜日はいろんな打ち合わせや、別の担当番組、私は特番なども制作したりしますので、そういう予定に当てるようにしていて、基本的にはフリーに空けられるようにしている日です。来客・打ち合わせなどは、この日に集めるようにしています。
木曜日は午前中に旅サラダの全体会議があります。昼イチからは、三船美佳さんが東京の街を散歩する「元気な散歩道」というコーナーのVTRチェック及び打ち合わせをします。それが終わるのがだいたい14時〜15時で、その後は空けてあるという感じです。
金曜日は放送の前日ということで、朝からVTRの最終チェックのために全部観る日になります。観終わるのがだいたい16時ぐらいなので、それまでに構成作家さんがその週の台本を作ってくれます。その最終チェックが18時〜19時ぐらいであって、20時から神田正輝さんをはじめとする出演者の皆さん全員が集まって、だいたい30分〜40分かけて打ち合わせをします。その後21時ぐらいに、「海外マンスリー」VTRのナレーションのチェックをします。22時頃に終わって、何事もなければ終了です。そこでいろんな手直しが発生すると、そこから翌朝の8時までに何とかしないといけないので、担当ディレクターが残って作業をし、最終チェックの責任者は私なので最後まで観て、帰れたら帰ります。
土曜日の朝は、7時40分頃から簡単なスタジオリハーサルをやっているので、6時半には出勤しています。生放送の最中には、基本的にはスタジオにいて放送できているかをチェックしています。放送が無事に終わるように、「全世界が平和でありますように」と祈っている1時間半ですね(笑)。
−プロデューサーという仕事をされていて、やりがいを感じたり、この仕事をしていて良かったと思ったりするときは、どんなときですか?
プロデューサーという仕事は、自分はドーンと構えていることでスタッフが自由に動けて、後の責任は自分が取る、といった「お父さん」のような存在であるべきだと考えています。けれど、60〜70人のスタッフ全員のモチベーションが“きっちりと”上がった状態で仕事をしてもらうことはやはり難しいですね。番組作りの方向性の舵をとっているのは、私や他のプロデューサーといった、ちょっと俯瞰でものを見る立場の人間なので、「この人はこう接したら良くなる」「あの人はこう接したら駄目になる」など、常に考えて一人一人接するようにしています。そのようにして上手くその人が動いてくれた結果、いいものが出来上がると「良かった!」と感じますね。
−続いて、入社されてから心に残っている出会いや転機について教えてください。
初期配属は現在の制作部でディレクターやアシスタントディレクター(AD)という仕事をしていたのではなく、制作技術局所属のカメラマンでした。そこではスタジオでの収録番組やスポーツ生中継番組などで、いわゆる大きいTVカメラでの撮影を担当していました。もともとの志望はディレクターだったので、この初期配属には衝撃を受けましたよ(笑)。しかし、一つの状況のある瞬間を切り取って撮影し、「自分の感じたことを人に伝えることができる」というカメラマンの仕事が面白いと感じるようになっていきました。
撮影をずっとしていたので、映像の強さというものをすごく感じてきました。1998年の夏の高校野球では、甲子園での準々決勝・準決勝・決勝の3試合とも横浜高校の松坂投手を撮るカメラを担当していました。この撮影で松坂投手の「人の真剣さが放つオーラ」に引き込まれました。真剣さというのは自然にあるものではなく、人がやっていることに対して引き込まれる何かがあるのだと感じた、すごい経験でした。
転機といえば、入社5年目のとき、通常はスタジオ収録をしているバラエティ番組があったのですが、その番組が海外に行ってロケをするという企画があり、そのロケに行くカメラマンに選ばれました。そこでの仕事は今までと全く違うテクニックと考え方が必要でしたが、とても面白いと感じました。けれど、私の撮った映像を観た当時のプロデューサーに「おまえは使えん!」と、厳しい言葉を言われ、「見返してやろう!」と思ったのがひとつのきっかけですね(笑)。
それまでは数台のカメラでの撮影スタイルの仕事が中心だったのですが、この海外ロケの後は、テープに収録するカメラを使ったENG(Electronics News Gathering)取材という仕事に大きな魅力を感じたんです。1台のカメラで番組に必要な素材を全て撮影するということが、取材構成、現場の状況、出演者との関係性など、頭と体をフルに使わないとできないというように感じ、所属していた部署は本来ENGを専門にしているところではなかったのですが、私はENGの仕事ばかりできるように願っていました(笑)。
そこから1999年に「旅サラダ」の海外マンスリーコーナーのENGカメラマンに選ばれました。さらにスタジオカメラのチーフも任されましたので、カメラマンとしてこの番組に育ててもらった部分は大きい、という思いがあります。そんな頃「自分はカメラマンとしてずっとやっていくのだろうな」と思っていたのですが、2005年に人事異動で現在の制作部に異動しました。しかも旅サラダを担当させてもらっているので、何かの縁を感じてはいます。
−岸岡先輩が「一緒に仕事をしたい」と思われるのは、どんな人材でしょうか?
誠実に物事にあたる人というのが前提で、その上で、「目に力がどれだけあるのか」「目の奥にどれだけの思いを秘めているのか」「自分のアピールがどれだけ真剣にできているのか」「自分の話をどれだけの熱意を持って話せているのか」を重視します。自分の気持ち一つでこれらは変わるものです。
−岸岡先輩は気持ちが伝わる人と「一緒に仕事をしたい」と思われるとお伺いしましたが、それに加えて、経済産業省が提唱している社会人基礎力の中で重要な力をあえて選ばれるとしたら、どれだと思われますか。
企業としては多種多様な人材を取ります。テレビ制作に特化すると、全部重要なのですが特に「発信力」が重要だと思います。ディレクターは、「こういう番組を作りたい」ということをタレントさん・カメラマン・美術さん・編集マンなどに口で伝える仕事なので、「発信力」がなければディレクターはできないと思います。
けれど、社会に出ていろんな人との出会いを通じて人は成長していくと思うので、こういった力を学生の内に完璧に身に付けておかなければならないと、堅苦しく考える必要はないと思いますよ。
−「人は社会に出て成長する」ということですが、岸岡先輩自身は、学生時代の強みと社会に出られた現在の強みは、それぞれどのようなところだと思われますか?
学生の時のアメリカンフットボールに関しては、できるとかではなく、フィールドで起こっている事・想像できることを全て気にかけていましたね。相手のディフェンスを研究して自分たちのオフェンスの戦略と戦術を考えるということが楽しくて仕方がなかったんです。これはアメフトということにおいてのみだったわけですが、たった一つのことに時間を自由に使えるのは学生の特権だと思います。
そして今は、視聴者の方々が何を面白いと感じるかを分析して番組作りを考えるという仕事をしています。学生の時には考えもつかなかったような多くの情報を取り入れ、その分析とそれに伴う実践をしていく。つまり戦略と戦術を考えることがすごく重要になっているのですが、その情報を得るために広く色んなことに興味を持つようになったということが社会に出た強みではないでしょうか。
−続いて、学生に薦める書籍があればぜひ教えてください。
私自身は推理小説が好きです。言葉の表現を勉強するには、推理小説だけでなく様々な文章に触れることが大事だと思います。その文章が本当に言いたいことを読み手が感じようとする行為は、最終的には「発信力」に繋がると思うからです。
特にオススメの書籍があるわけではないのですが、私自身は本屋に漫然と入ってみて、タイトルや表紙の絵などを見て、気になった本を買うことがあります。これは自己分析の一つの材料になると思っていまして、ある本に目を引かれるということは、タイトルの表現方法だったり、絵のデザインだったり、自分の興味を引く「何か」がそこに存在するからです。学生さんの多くは自分が興味のあること・ないことがあまり明確ではないと思うので、自分を知る一つのきっかけになると思いますよ。
−最後に、和歌山大学の学生へエールを含めてアドバイスをお願いします。
学生時代には何かに一生懸命取り組んでください。その取り組んだことから見えてくることがあります。「自分がしたい仕事を見つけよう!」というのは、ものすごく大変な作業だと思いますが、そうではなくて自分が今取り組んでいることを一生懸命やっていれば、そこからヒントとなって興味のある仕事・やってみたい仕事を見つけることができると思います。もしくは、やりたくない仕事・止むを得ず就いたような仕事でも、そこに何かモチベーションを見つけて取り組めると思います。
大きな目標を見据えて、その目標をぶらすことなく一つ一つの課題に対して分析し、ベストなことをやる。戦略と戦術をもって真っ直ぐ突っ走ってください。
−本日はお忙しい中、貴重なお話ありがとうございました。
<取材の感想>
真っ直ぐ突っ走れ!
私は就職活動がだんだんと迫ってくるにつれて、不安や焦りも日々募ってきていました。けれど、目の前の小さなことを一つ一つ確実にこなすことは、先の大きな目標に向かって真っ直ぐ突っ走っていることだと、岸岡先輩の言葉にすごく励まされました。一生懸命に突っ走ることで、自分の気持ちや熱意が「目の力」や「オーラ」となって、周囲の人々に伝わるのだと思います。
岸岡先輩は、常に周囲を観、考え、実践していらっしゃるといった印象を受けました。それはきっと、現在でも「こういう自分に成長したい」という目標に向かって、真っ直ぐ突っ走っているからなのだと思いました。
私も今後、毎日の生活や就職活動などにおいて辛いことや逃げ出したいことがあっても、その中で何かを見出せるように前を向いて、そして決して自分の目標を見失わずに最後まで全力で突っ走ってやる!と、強く思えるようになりました。
一つ一つの質問に本当に丁寧に答えてくださり、また戸惑いや不安を消し去るように励ましてくださり、私にとってとても嬉しく有意義な時間となりました。本当にありがとうございました。